第八回 松一式
今回は仏花について説明をさせていただきます。
我が宗派では仏花の種類に決まった花はありません。毒花やとげのある花、つるがある花などは用いないという、仏花そのものの決まり事はありますが。
ですが、それでは答えにはなりませんので、必ず使う仏花について説明をしましょう。
はっきり記載をされているのは松です。本山では一年の最大行事報恩講では松を基本として、色とりどりの花をそえています。
皆様、松と言えば何を想像されるでしょうか? 人それぞれに考えが違うと思うのですが、盆栽の松、門松、松竹梅の松などですか。
有名な観光寺院にも、樹齢何百年という松がシンボルとなっているところがあります。
さて、松をたてるときには、花瓶に直接いけるわけではなく込藁(こみわら)というものを使います。藁をたくさん束ねて、それを紐で縛って花瓶に押し込むのです。
そのあと、「真」という、できばえのいい松を正面にさし、脇にも何本からの枝をさします。最後に彩りをそえるために花をいけます。
以上が報恩講なのですが、御縁忌は違います。すべてを、松だけで飾るのです。これを松一色と呼びます。
花瓶に込藁を入れるところまでは同じなのですが。その上に枝の入った松の幹をさします。枝もそのままというわけでにはいきませんので、取れないかつ見栄えをよくするために、針金などを使って固定をします。松一色ですので、松だけで賑やかにしなければなりません。枝を丹念に取り付けていきます。
仏花は華やかにしなければなりません。そのために、様々な色の粉を松の葉や枝、実(マツボックリ)にぬります。
込藁をもとに、松だけ使っていれば松一式の定義には間違っておりません。当寺も二種類の松一式があります。
一つ目は、今回の御遠忌法要で用いた立て方です。大きな松一本を使い松の葉に朱、黄、白色の粉を塗り、華やかに見せます。
もう一種類は前回の蓮如上人御遠忌の荘厳に使われていたものです。当寺のホームページ表紙に出てきます。赤・黄・白の色とりどりのマツボックリを花のように見立てます。もたせるために何度も手をかけ、松の葉自体にも染料を塗っていますので、こちらの方が目を引くでしょう。それを、阿弥陀様に一対二点、祖師前に一対二点、蓮師前に一点、御絵伝前に一点の計六瓶かざります。
見る人が見ればわかりますが、かなりの値がします。なぜなら、松一式というのは作るのが結構、大変だからです。
もともと松一式というのは、職人が松を探すところから始まります。探すという言葉から、そんな簡単なことではありません。
松一式に使う松は幹一本まるごとです。それなりに、芯や枝振りがしっかりしていないといけません。
ですから、松を選ぶ人は眼がこえてなければなりません。職人が直接探すこともありますが、魚の目利きと同じように専門の方がおります。彼らは山林の持主と契約した山を回り、よい松を探します。
松一色に使う松は、お寺の大きさに拠って違います。間口(畳一畳の横の長さ)が五間、六間、七間、八間というような。
当寺は八間御堂です。となると阿弥陀様本尊の花瓶の口縁(花を生ける穴)の口径は八寸(直径約24センチ)ぐらいでしょうか。その口縁の大きさに立てるような松は、運が悪い年は探しても採れないようなことあると聞きます、
一昔前は、山に入れば取り放題だったらしいのですが、今では乱獲で規制もされているからです。
規制と言えば少し話がそれますがマツタケですね。マツタケというのは松の養分にキノコの胞子(菌)がつき、光合成によってその松茸菌が成長し、地上にのびてキノコになったものです。
土が肥えた山の松(川や海辺の松はだめ)が少なくなるにつれ、希少になりますので高くなっていきます。
当然と言いますか枝振りのいい松は養分も高く、大きなマツタケができます。ということで枝振りがしっかりとしている、幹から丸一本、採ってもいい松を見つけるのは難しいのです。
そのような状況ですから、飾りを造る職人もだんだんと少なくなっていきます。今となっては松一色は贅沢なものなのですね。
ですが、本願寺の寺院はできるだけ、松一色飾りをして御遠忌を迎えたい、という信条を持っています。「松一色があってこその御遠忌」という。
では、なぜ本願寺のお寺、今回は特に真宗寺院と呼ばさせてもらいます、は松にこだわるのでしょうか。
今回、真宗寺院を強調させてもらったのには理由があります。親鸞聖人を宗祖とする真宗は本願寺だけではありません。独立寺院を含めると二十近く(真宗教団連合連合には東西両本願寺以外に八派)あり、その最たるものに高田派というのがあります。
高田派とは聖人の弟子の一人真仏(しんぶつ)という方が、聖人が栃木県高田の地でお建てになった専修寺(せんじゅじ)を継いで成り立っている宗派です。専修寺は現在、三重県津市の一身田という場所に移転され、高田派の総本山となっております。
その高田派に「高田の一本松」という教えがあります。本山では普段は松一本しかかざらないのです。
真仏は親鸞聖人の弟子として、お近くで聖人を見ておりましたから何か感じるものがあったのでしょうね。聖人の気高く、頼もしいお姿を松に例えたのでしょうか。
実際、親鸞聖人は松と関係があります。藤原系日野家で生まれで、その御幼名を松若丸といいました。
先月触れた御絵伝にも、ほとんどの絵には松が描かれています。 松というのは常緑樹です。聖人は正信偈の中で『大悲無倦常照我』(私たちは常に仏の教えに照らされている)というお言葉を残しております。
きちんと手入れをされた松は寿命は何百年と長く、冬でも夏でも鮮やかな緑色を絶やしません。
お寺が松を象徴に使うということは、仏の教えは滅びず永遠であるが、いつの時代でも、説いて残していかなければならない、その教えを担う道場であることを表しているのではないでしょうか。