歴史

 尾張国、愛知郡史には、当寺は、聖武天皇天平元年に泰澄(たいちょう)和尚の開基と記されています
 後に華厳から天台宗となり圓頓院(えんどんいん)という名称で荒子観音の十二坊の一つであったということです。
 文明六年に蓮如上人に帰依し浄土真宗に改宗しました。

 当寺に伝わっている話によりますと、室町時代に尾張国守護であり管領の斯波氏から伊予守の官位を得た、中島郡奥村出身の奥村正親(まさちか)が入寺され現代に至ったということです。
 その当時、寺の前は東は熱田神宮、西は蟹江城まで海岸線であったので、外敵(倭寇等)から守る砦としての役目を任されたのでしょう。
 なお伊予守は荒子城代 奥村助右ヱ門永福 も受けられておりますし、永福の父の名前が宗親ということなので、何かしらの関係はあると思います。

 

沿革

 第二次世界大戦で消失してしまったので、まったく資料は残っていませんが、それ以降は、

※昭和二十九年 春
 蓮如上人四百五十回御遠忌法要
 豊明高徳院より、ゆずりいただいた書院を仮堂とし  た記念の入仏法要も併して勤めております。

※昭和四十三年 五月一日~三日
 宗祖親鸞聖人七百回御遠忌法要
 現在の門を新築させていただきました。

※平成二年 十一月三日~五日
 親鸞聖人生誕八百年記念法要
 蓮徳寺本堂落慶法要
 平成元年に戦火で消失した本堂は再建されました。

※平成十三年 十一月四日・五日
 蓮如上人五百回御遠忌法要
 外陣の荘厳、境内整備をさせていただきました。

※令和四年 四月二十三日・二十四日
 宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要 執行予定

写真は旧本堂(高徳院書院)です。