第九回 紋(其の一)


 

 前回、仏花について軽くお話をさせていただきました。毒、とげ、つるのないという決まり事以外、どの花をいけられましても自由です。 現代では、飛行機で世界中から空輸ができますし、温室栽培の技術向上のおかげで、いつでも好きな花が手に入ります。
 とは申しましても、本来、花というものは、季節ごとに違うものです。その季節の花をたしなむことこそが日本人の花文化です。
 そのことは、花札から見てもあきらかです。
 一月は松、二月は梅、三月は桜、四月は藤、五月はアヤメ科(かきつばた、六月は牡丹、七月は萩(はぎ)、八月はススキ、九月は菊、十月は紅葉(もみじ) 、十一月は柳、十二月は桐となっています。
 一月の松は前回、説明をしましたように常緑樹だからです。一年のめでたい門出を、鶴と併せて不老長寿のシンボルとしてあらわしたのでしょう。二月以降は十月までは実際、当時は、その時期にならないと見ることができなかった花です。
 さて今は六月です。昔は旧暦でしたので、年によっては新暦の七月中旬まで、牡丹の時期ということもあります。

 では、その牡丹の話をさせていただきましょう。牡丹は大谷派の紋章の一つです。写真(1枚目)のように中央の牡丹の花を、左右から八枚の葉で囲んでいます。 当派では「抱牡丹(だきぼたん)」と呼んでいます。
 なぜ牡丹なのかいうと、はっきりした説は御座いません。「抱牡丹」が紋章になったのは東西分派のあとです。ということは、宗祖親鸞聖人の著書にも、蓮如上人の著書にも言及されておりません。
 ですが、いくつかの説は伝わっております。
 その一つに、唐獅子牡丹説があります。さて、唐獅子牡丹とは何でしょうか。一番身近なものは任侠映画ですね。ヤクザの親分が背中に彫っている入れ墨の模様の一つです。
 もともと、入れ墨というのは古代の伝承から取り入れられております。昇り龍、弁天、不動明王、般若、風神雷神などですか。
 その伝承の力で加護してもらうため 身に受けるということですね。  さて唐獅子牡丹の力とはどのようなものなのでしょうか。唐獅子牡丹は、和風のふすま絵にも、よく用いられております。

 「獅子身中の虫」という言葉をご存じでしょうか。あまり、いいときには使われませんね。自分が一番信頼していた人物が、自分を陥れる中心人物だったとか、そういう、ろくでもないときに使われます。
 獅子というのは百獣の王と呼ばれるように無敵のたとえです。その獅子でさえも、お腹の中に寄生した虫によって内臓を食い散らかせられて命を奪われるということです。
 つまり、どんな無敵なものでも中から壊されるということですね。この獅子身中の虫は簡単に殺すことはできません。お腹の中にまで退治をしに行くことはできませんから。
 では、虫が動き出したら死ぬのを待つだけでしょうか 。唯一助かる方法があります。はっきりした出典は見つかりませんが、後の伝承によりますと、獅子は、ある牡丹の花から出る露を、絶えず飲み続けることによって、獅子身中の虫の活動を抑えることができるのです。つまり、獅子と牡丹、この二つがそろえば、本当に無敵ということになります。
 獅子に唯一の弱点があり、それをまた唯一なおす方法があるなんて、ある意味回りくどい話ですね。でも、ここに大きな意味があります。
 「獅子身中の虫」の出典は明らかにされています。仏教の戒律をあらわした『梵網経(ぼんもうきょう)』と『仁王経』です。
 これらの中に次のような一文があります。「而自破滅如師子身中蟲、自食師子肉、非余外蟲、如是仏子自破仏法、非外道天魔能破壊」
 獅子を滅ぼすものは中にいる虫で、その獅子の肉を中から食いつくす。外にはいない。つまり、仏法(仏の教え)を滅ぼすものは仏教徒だ、決して、天魔のような外敵が破壊するものではない。という戒めの言葉なのです。
 親鸞聖人が門弟たちに送られた『親鸞聖人御消息』の中にも次の一文があります。『仏法者のやぶるにたとへたるには、 「獅子身中の虫の獅子をくらふがごとし」 と候へば、 念仏者をば仏法者のやぶりさまたげ候ふなり。 よくよくこころえたまふべし』と
 この獅子身中の虫というのが、今まで何度も話に出てきた煩悩(ぼんのう)なのです。仏法者を目指すための最大の敵は自分自身の心であるということを、よく覚えておかなければならない、ということなのですね。
 では、最後まで真の念仏者には決してなれないのでしょうか。そのことについて牡丹の役割があるのです。伝承の牡丹の花からにじみ出る露というのは、いわば、悪魔の動きを止める聖水です。
 牡丹の露を飲むということは、真の念仏者を目指すためには、絶えず自分自身を精進させる(見つめ直し問いかける)必要があるということをあらわしているのではないでしょうか。そのことはまた、悟り(正しい仏の教え)を得るために煩悩と戦う姿を示唆しているのです。
 以上の理由で、大谷派は牡丹を用いることにしたという説が有力です。写真(2枚目)のように金香炉にも唐獅子が用いられておりますので、あながち間違ってはいないでしょう。

 他の説は近衛家(このえけ)の紋章です。近衛家というのは、藤原摂政関白家の一つで名門の家柄です。
 十七代にあたる真如上人が近衛家の猶子(養子のようなものだけど、本地はもとのままなので、結びつきは養子よりうすい)になったということが始まりだったらしいです。
 その後、代々、明治に至るまで大谷派の門首(法主)は、近衛家の猶子(ゆうし)になっております。実際、近衛家、その支流の鷹司家の紋章とそっくりですので見比べて下さい。
 牡丹につきましては、名古屋別院も波越牡丹(なみこしぼたん)を寺紋としております。

 さて、大谷派にはもう一つ紋があります。「抱牡丹」が東本願寺の寺紋としますと、もう一方は大谷家の家紋です。こちらの方がよく見かけるかもしれませんね。
 ○の中に藤が入った「八藤紋」という紋章です。その説明については次の機会にさせていただきます。
 来月はお盆なので切子灯籠です。