第四十六回 お内仏の荘厳(仏器台)


 今までも、寺院とお内仏について、荘厳形式が違うところがある、ということで、皆様方には、軽い戸惑いがあったと存じます。
 本来は一貫性のある説明をしていきたいのですが、①阿弥陀堂(あみだどう)と御影堂(ごえいどう)の二つの本堂(お堂)がある本山、②一般寺院、③在家のお内仏、どうしても構造的に違う部分がでてきます。
 回りくどい話になってしまいましたが、その最たる例が、今回のテーマ、この仏器台です。
 写真には三種類の仏器台がのっております。
 1(写真上)の仏器台は、お内仏にしか存在しません。簡易的なものといいますか、プラスチック製も存在します。この型の仏器台を使っている、お内仏が一番多いです。
 2(写真中)の仏器台は名称があり、梅型仏器台(うめがたぶっきだい)と呼ばれております。お寺でも用いられており、見たとおり上から見ると梅型をしております。天板が漆加工で、足の彫りに特徴がある一品です。
 3番目(写真下)は仏器台というよりも、正式には四方卓(しほうじょく)と呼ばれています。写真では、小さな香炉がのっておりますが、この卓を両尊前に飾り、上にお仏供を備えている家もいくつか存在します。
 御本山にも確認をしましたが、間違った作法ではないということですので、紹介させてもらいました。

 このように仏器台には、いくつかの種類が存在しますが、お寺では本尊に対して、仏器台を用いることはありません。理由は前にも説明をいたしましたが、上卓(うわじょく)に直接、のせることができるからです。
 お脇につきましては、本山ですと、夷型香盤(えびすがたこうばん)の上に香炉を置き、その後ろに、お供えをいたしますが、そのようなものは、お内仏にはありません。
 一般寺院でも梅型仏器台が普通です。

 では、四方卓はどのような役割でしょう。お寺の本堂は、大間、外陣、内陣、余間と分かれています。余間も左右に二カ所存在します。
 真宗大谷派の寺院は、この余間の片側の壇に、お軸を掛けて、その前に四方卓を置いています。そして、その卓の上、前方に土香炉、後方に、お仏供を備えます。
 つまり、皆様方のお内仏には、この余間でお仏供を備える荘厳仏具も用意されていた、ということです。
 実際、四方卓は、たいていのお寺にはありますので、機会がありましたら、観察をしてください。

 昔はなかったのですが、最近、前卓の上に、直接、お仏供を備えるお方も出てきました。
 身体が弱ってしまって、どうしても須弥壇の上卓まで届かない人です。思えば、その方は、五十代のときに姑になくなられ、三十数年、お内仏をお守りしていました。
 ですが、時代の流れですか、そこのお嫁さん、還暦過ぎても、お給仕に関心がなく、手伝ってくれないのです。
「それ以上、下に置いてはいけないよ。仏壇じゃないからね」と言うことしかできませんでした。
 結局、思うのです。どんな形の卓にのせようが、元気でいる限り、毎日かかさず、お仏供を備えることの方が大切だと、それが、仏様にささげるお気持ちなのです。

 ただし、いくら、お気持ちといっても、荘厳を含め、何事にも作法というものがありますので、仏器以外は、指定の場所以外に置くことは推奨されません。
 荘厳に重要な三具足の話をさせていただきますが、
 香炉は中がけぶるから、線香を焚くとき卓から下げる。
 ろうそくも同じように、けぶるから、燭台を下に置く。
 花瓶も上に置くと水が落ちるから、卓から下げる。
 という家庭も、いくらかありますが、どれも、荘厳として間違っています。
 花瓶が卓の上で、燭台が下。また逆に、燭台が卓の上で花瓶が下という景色は、ちぐはぐで気持ちのいいものではありません。

 では、その三具足の配置です。まず香炉です。お参りのとき、お内仏の下の場所や、お供え台に置いてある場合ですが、必ず前卓の中央に戻します。
 最初の時、御門徒さんの中には、否定的な顔をされる方がいますが、『煙は下から上に上がるから、下に置いておくと、線香の煙をまともに吸うことになるよ、健康に悪いよ』と言いますと、皆さん、理解をしてくれます。

 次は花瓶です。実際、こちらも、かなり、年配になられた方々にとって、花を生けた正式な型の花瓶(口径が狭い)を前卓の上に置くことは、きつい作業のようです。
 水をこぼさないようにする、ということで、家庭用花瓶を置いている方もいますが、前卓の上に、三具足がそろっていたら、あえて、注意をいたしません。
 問題は下に置く方です。実際、水滴後が残っているところからみて、よくこぼすようです。ですから、前卓に置いてもらうため、普段用には、逆に正式ではない、口径の広い花瓶をすすめます。

 燭台の方はどうでしょう。こちらも、鶴亀だと、ろうを取るのが大変になったという方には、普段用に、安易に手に入る竹筒型と呼ばれる燭台をすすめます。
 ですが、下に置いてる方は、そういう問題ではないので、別のアドバイスをします。
 すでに、街中のお寺のほとんどが、お灯明に油を用いておりません。理由はコストではなく危ないからです。どこの家でもそうですが明かりに油を使っていたのは、電気がなかった時代だったからです。
 こんなことばっかり言っていたら、「荘厳を語るな!」と怒られそうですが、実際、どんなに荘厳が厳しい先生でも、お灯明に電気を使っていることに、文句を言うことはありません。
 燭台に話を戻しますが、すでに、知り合いのお寺のいくつかが、危ないという理由で、大きな法要時以外は、ろうそく型電灯を使っています。また、最近のお内仏は、中の飾りがコストの都合でプラスチックとなっており、仏壇屋から、絶対に中で火をつけてはいけない、と注意を受けているようです。
 ということで、ろうそく型電灯も、前卓の上で燭台に刺さっている状態だと、荘厳という形になるわけです。

 今回、後半は三具足の話になってしまいましたが、時代は流れても、仏様の教えは生き続けます。その教えを受け継ぐには、三具足はなくてはなりません。
 近いうちに、改めて、その三具足の説明をさせていただく予定です。

 8月もお盆です。前回も述べましたが、過去にお盆のいわれについて簡単に説明してありますので、そちらをご覧願います。