第五十一回 お内仏の荘厳(お正月)(お華束四)



お華束の話も四回目となりました。
今回も、お華束のお飾りについての説明です。
普段は、お華束はお供えしません。特別な法要の時に供笥を用いてお華束を供えます。おとりこし(報恩講)は須弥盛(しゅみもり)、お彼岸・お盆・年忌法要(法事)の時は杉盛(すぎもり)を用います。杉盛は供笥に細かいお餅を図2(写真2枚目)のようにのせたものです。
といいましても、現実では、飾りを造られる業者が少なくなってきましたので、通称、おだんごとよばれる餅を二個か三個、お供笥の上にのせるだけで充分です。
お正月ですが、同様な荘厳だと思っていたら、どうも違っていたようです。実は拙僧も、今回の手引本を、じっくりと手に取るまで、知らなかったのですけど、図3(写真3枚目)のように掲載されております。
何と供笥の代わりに、敷紙の上に鏡餅(かがみもち)をお供えするのですね。お餅は大切だということがわかります。今、米の事が騒がれていますが、お餅は、このお米から造られます。何度も同じ話をしますが、お百姓さんは米を庄屋さんに預けて、換金をしておりました。お寺も法要の、お代として、米をいただいておりました。現代の相場ではいくらかわかりませんが、法要は米俵一俵。お葬儀は米俵十俵ぐらいが目安となったと聞いております。
このように、我が宗派でも、鏡餅をお正月に鏡餅はお供えしますが、しめ縄飾りはしません。お餅とみかんのみです。
鏡餅は語源をたぐりますと、神々餅、から来ているようです。真宗が神というと変かと思いますが、須弥山自体がインドの神信仰なのです。
以前にもお話をしましたが、須弥盛では、頂上のみかんにあたる場所が帝釈天(たいしゃくてん)のお住みになられる場所、ということですから、あながち神という言い方も間違いではないでしょう。
その、みかんについて、お供えする意味を調べさせてもらいました。すると、このようなことが説明されていました。みかん類の一つに橙(だいだい)という種類があります。
この橙というのは本当にあざやかなオレンジ色の果実で橙色の語源となっております。
察しのよい方はおわかりだと思いますが、だいだい、という語句は、「代々」という意味を連想します。
生活の源となる、餅をかさねることによって、私のいのちは私から始まるのではなくて、代々受け継いできて、今の私がある、ということを自覚することを教えているのではないでしょうか。
お正月ですので、お餅と蜜柑の話をさせていただきましたが、今月の本題に入らせていただきます。
まずは、そのお内仏の供笥の種類についてです。
どのような仏具もそうなのですが、お寺とお内仏は仏具の形が違っていることがあります。
本来なら、お寺をミニチェアにしたのが正式なのですが、なかなか、それは難しくて・・
供笥はそれを顕著にあらわしております。
最初の写真に紹介した供笥をお持ちの御門徒様はめったにおられません。
金箔地に蓮水画、細工分、お値段がかかります。また八枚の紙の花びらは維持に手間がかかります。
この供笥を仮に(一)と呼称します。
(二)に当たる供笥は、同じように、三部に別れていて、上部は同様に花びら八枚仕様ですが、金箔は無地です。
この(一)(二)を所持されているお内仏は、全体の家庭の一割もありません。紙の花びらは小さくなると、紛失率も高まったり、片地の方も薄いゆえ、しわがつきやすくなりますので、維持が面倒ということもありますが、お寺の立場から言うと、普及してもらいたいです。
(三)は、その花びらの部分が、木で作られている供笥です。そのため、花びらの上部と中部が一体型となっております。今回の写真にものっておりますし、昔からのお内仏に、一番多い型です。
ただし、品質は上質から、よくないものまで、さまざまなものが存在します。上質なのは、それなりに丁寧に造られておりますが、よくないものは大量生産のゆえに塗り師も本職ではなく、金箔の金の含有量も少ない仕様ですので、むらが目立ちますし、ひどいものは金箔が取れて黒地が見えております。
もっとも、それは供笥だけではありません。木地に金箔仕様の前卓等も同様なこととなっております。
(四)は(三)と同じ形なのですが、木地に金箔ではなく、プラスチックのものです。今のお内仏は、圧倒的に、このプラスチック製が多いです。型抜き製品ですから、安価ということも理由の一つですが、軽くて扱いやすいうえ、見た目も、つるつるして光っております。
このプラスチック製品も二つの種類にわかれております。最初から金色の整型プラスチックと黒色のプラスチックに金の塗料を塗ったものです。金の整型がでてきたのも、時代の流れというものですか。
あと、番外品ともいえる供笥が存在します。それは、西本願寺型の供笥です。さすがに写真にのせることはできませんが形は六角形です。お東の供笥とは違って、すらっとはしておりません。下部の部分が台形型になっております。仏壇屋が知らないということは、まずないと思いますので、どうして、そうなったかわかりませんが、意外とよく見かけます。
お華束の配置場所については、前回に説明をしましたから、供えるときの向きの話をしましょう。(一)(二)の供笥になりますと、八角形中、一つだけ穴の開いてない箇所があります。そちらを奥にして起きます。上部、中部どちらも同じ仕様になっておりますので、あわせてください。
(三)(四)は、すべての場所に、穴があいているものが、ほとんどですから、向きを気にすることはありません。
ただし、コストの関係ですが、前部だけ金箔をはる、または、前部だけ金色の塗料が塗ってある供笥があります。塗ってない場所は黒色となってますので、一目瞭然です。たまに裏側と内側(普段は見えない場所)に、黄(肌)色の塗料が塗ってあるのがあります。こちらは、一見みただけではわかりずらいので、注意が必要です。
このような仕様は、別に供笥だけではありません。お仏器台も普及型には、すべてが金色に塗られていない場合が多いです。実際、裏側は見えませんので、きちんと塗ってある場所だけ見えるように配置をすればよいのでしょう。
よくよく考えてみれば、黒い裏をうまく隠すということは、人間の生き方そのものと思います。
前開きのお内仏は前からしか見ることはできません。ですが阿弥陀様からは裏が丸見えです。
今回ふっとそのようなことが思い浮かびました。
一応、今回でお華束の話をおわらせていただきます。

