第四十四回 お内仏の荘厳(お仏供四)
今月もお仏供のお話となります。まだ、お話をしていない事柄がありましたので、もうしばらく、おつき合いをお願いします。
さて、まだ、お話をしていない事柄というのは、お備えをするお仏供の仏飯の形(写真上)です。
その言葉で、またまた、拍子抜けをした方も、いらっしゃるかもしれませんが、かなり重要なことなのです。仏飯の形の説明をしてこそ、きちんとしたお仏供の説明になると申しますか。
では、形の説明に入ります。写真の仏飯の部分をよく見てください。きちんと角張った仕様になっています。先月の写真も確認願います。同じように角張った形となっております。
この形は、蓮の実を表しているといわれています。
実というのは、たいていの植物はそうなのですが、華が咲いたあとにできるものです。
蓮の実は、上部表面は円になっており、シャワーの水出し口のような形をしています。そのことを示すために、仏飯は円筒の形になっているということです。
円筒の形にするため、写真(写真下)のような道具を用います。
筒と先が円の金属の棒が写っています。これらの道具を盛糟(もっそう)と呼びます。この円筒にご飯を詰め込んで、棒で押すのですね。そうすると、きれいな円筒型の仏飯ができるということです。
こちらも、今はステンレス製品が出ています。
では、なぜ蓮の実型なのでしょうか? あちこちに尋ねましたけど明確な答えはありませんでした。仏の教えが真実ということを示すため、とおっしゃった方はいましたが。
西本願寺の方は、蓮の蕾(つぼみ)を表すということで、山盛のとがった形にして仏飯を盛るようです。
実にしても、蕾にしても蓮の一部です。重要なのは蓮を用いたことです。分けたのは区別ということでしょう。
東のお供えを蓮実形(れんじつけい)、西のお供えを蓮莟形(れんがんけい)と呼ぶようです。
今回、またまた蓮が出てきました。蓮如上人を含め、この蓮という単語ですが、お内仏の話になってから、毎回、書いているような覚えがあります。
当寺の寺号にも入っていますし、もしかしたら、このコーナー連載の半分以上に、用いているかもしれません。
思えば、この功徳荘厳というコーナーが始まった最初のときに、蓮のお話をしました。それだけ、キーワードになる花なのです。
では、一応その一回目のときの説明について、改めて、掲載させていただきます。
「なぜ、蓮の花なのでしょうか? 蓮の花は、高原の陽がよくあたる咲きやすいところに咲くのではなく、湿地帯のような厳しい環境の場所に咲く花です。お釈迦様の教えは悩み苦しむ人間のところに花を咲かせる(救う)ことなのです。」
また、蓮の花は咲き方に特徴 があります。咲くとき、華々しく広がるのです。そして、花びらも中心から広範囲に舞うように散らばっていきます。
このことがまた、お釈迦さまの教えである仏法が広がっていくという、たとえともなっております。
たまに、空の仏器が格好づけのために置いてある、お内仏を見かけますが、真宗では、空の仏器を置いただけでは荘厳にはならない。蓮を暗示した、お仏飯を備えることによって荘厳という形、つまり、お給仕になるということです。
蓮の花自体が不思議な力の象徴というのも、仏教の教えでの一つです。
『妙法蓮華経』略して『法華経』という経典が存在します。
妙法を蓮の花であらわしているお経という意味です。
法は教えを表します。妙というのは一般辞書で引くと、最初に、「たくみである、美しくすぐれている」という言葉が出てきます。ですから、一昔前の女性の法名には、よく用いられたのでしょう。ですが、それだけではありません。「不思議なこと、奥深い」という意味もあります。実際、「妙な人」という言い回しがありますが、そちらの方が妙という言葉のイメージにあっているでしょう。
つまり、蓮の教えは、不思議で奥深く、すぐれたものでもある、という意味もあるのです。
今からする話は、仏教の正式の伝承で、偽りではありません。お釈迦様は、弟子を前にして、ある時、次のような言葉を述べました。
『今まで、私が説いた数々お経の話は前座のようなものであって、今からする法華経の教えこそが私の伝えたかった真の教えであると。この奥深くすばらしい真の教えを理解をしてもらうために、これまでのお経の説明が必要であった。』と
蓮が本尊・名号の華座(けざ)として、重要に扱われいるにはこのような理由もあったからです。
このお話をしたのには少し理由があります。
前回、蓮の花を彫り込んだ仏器台を掲載したことで、二、三の反応がありました。
「うちも、蓮の華が彫り込んである仏器に変えた方がいいでしょうか?」という質問でした。
「お寺で使ってないので、買わなくてもいい」と答えましたが、逆に「いくら、蓮台をあらわしているといっても、のっぺらぼうでは・・」という返答がきましたので、今回、テーマとなった蓮の実のお話をして、「蓮の教えは、「妙法蓮華」という言葉通り奥深いもので、すべてをあからさまにするわけではなく、巧妙に隠されていることに、よりありがたさがある」とか、自分でも中途半端だなと、思いながら説明をしたら、納得をしてくれましたが。
やはり、お寺では使わないものを、うっかりと載せてはいけないものだ、と反省をした次第です。
もう一件は、仏具屋さんに行って、蓮の掘り入りの仏器を買ってきてしまった家です。金メッキ仕様で、あんまり、喜んでいたので何も言うことができませんでしたが、
祖師前(親鸞聖人)の金扉もそうですが、飾り物好きな名古屋のお方らしいといいますか。
また、それだけ、自分の家のお内仏を大切にしていることも伝わってきました。
五ヶ月かかりましたが、今回をもちまして、ひとまず、お仏供の説明を終わらせていただきます。