第四十五回 お内仏の荘厳(お仏供五)
前回まで、都合四回にわたり、お仏供について説明をさせてもらいました。
何度も説明をいたしますが、仏様にお仏供を備えるということは、日頃、「阿弥陀様から生きる力をいただいている」ことを感謝する心の表れです。
さて、今回も、そのお仏供を備えることについての、お話を続けさせてもらいます。
これまた、話がくどくなりますが、お仏供を備えるということは、お給仕の大切な一部(お供えをした後にお勤めをする)です。
このお給仕ですが、お内仏の大きさによって、難易度とは変な言い方ですが、供えやすさが変わってきます。
半間の間に入るような、小さなお内仏は何も問題なく、お供えをすることができますが、それより、大きくなると、大きくなるほど供えるのが難しくなります。
どうしてかと言いますと、その分、中に手を入れること自体が難しくなるからです。
しっかりした型のお内仏になりますと、以前に説明をしました通り、横幅と奥行きが正方形に近い形となっております。横幅が広くなると、同じ分だけ、奥行きが深くなるということです。
ですから、手が届かないという場合が出てきます。それでも、入れることは可能かもしれませんが、バランスを崩し事故につながるかもしれません。そのため、写真(下)のような道具が存在します。
実は、このマジックハンドみたいな道具、お寺では使う必要がないので、正式の名前がありません。と言いましても、伺ってみると、結構使っていらっしゃる門徒様たちがおります。ですから、今回のコーナーにも説明を入れさせてもらうことにしました。
なぜ、このような道具を用いるのでしょうか?
拙僧も試しに写真の長さぐらいの道具を、門徒様に頼んで、どのような感じかと思って、お仏供を備えようと試みたことがあるのですが、なかなかどうして、落とすことをおそれて、ゆっくりとした動作になり、きちんとお供えをすることができませんでした。
ところが、御門徒さんは、仏器を挟むと、さささっと、あっという間に供えてしまいました。引き上げるときも同様です。奥で上手に挟んだなと思ったら、もう引き上げていました。まったくもって見事なものです。「慣れれば、簡単なもの」だと言っておられましたから、数をこなし、早さやタイミングなどのコツをつかめば簡単にできるものなのでしょう。腰が曲がったおばあさんでも、年期というか、「こっちのほうが手を入れるより何倍も楽」とも言っていました。
自転車に乗るときも、最初のうちはバランスを保つことは難しいのですが、一度、保ってしまえば、あとは楽に乗れます。道具というのは、どんなものでも最初に扱うのは難しいものですが、慣れたら手放せないのでしょう。
写真では木製ですが、こちらもまた色々な材質のものがあるみたいです。長さもまちまちですが、当然といいますか、長くなればなるほど、バランスをとることが厳しくなります。
ですから、無理なくお給仕ができるように、大きなお内仏には三方開きのものが存在するのです。三方開きですと、横から手を入れて毎日、普通にお給仕ができるからです。写真のように、給仕をするための小扉(写真上)のようなものがついているお内仏も存在します。
本三方になりますと、奥まで開きますので、脇の両尊に対しては、直接、面と向かって給仕ができます。つまり、お寺の内陣で給仕するのと同じ感覚になります。
ですが、飾りも金具も、それなりに最高のものとなりますので、御堂(宮殿)造りですと、現在では一億ぐらいかかるかもしれません。
お金で信心をはかるなんて、考えてみれば変なことなのですけど、面とむかって給仕ができるということは、信心深い真宗門徒の人たちには喜びでもあったのです。
補助道具の話に戻りますが、慣れてきますと、体のバランスを崩さずに、正面を向いてお給仕ができます。
仏様に近づくことを願う門徒様の知恵のたまものでしょう。
今からの内容は、このコーナーを熱心に見ておられる方には蛇足のような話です。ですが、このことは知ってほしいのです。もともと、功徳荘厳のコーナーを始めたり、本尊、お給仕について、同じような内容を何度も説明させていただいたのは、機会があったら次のようなことが言いたかったからです。今まで、書くことを何度も躊躇しましたが、やはり、功徳荘厳を語るためには避けては通れない内容ですので、あえて、述べさせてもらいます。
最近、新しく人が亡くなられた家庭でも、お内仏を買わない家が目立ち始めました。一昔前までは、このようなことは、まず、なかったのですが。
何しろ金箔のもとである金の価格が、うなぎのぼりに上がっている(この功徳荘厳を最初に始めたときの約三倍)のですから、持つこと自体が贅沢だと勘違いされている方も出てきました。
日本人の意識自体が大きく変わってしまったのでしょうか、葬式は自宅で行わないことが常識のような世の中になり、法事も自宅と、お寺や葬儀会館でされる割合も、昔は圧倒的に自宅でしたのですが、今では一対三(将来もっと増える)ぐらいの割合で、寺でされる方が増えてきました。新しく人が亡くなられた家は、忌明け法要から、当たり前のように葬儀会館かお寺です。昔はその期間中に、新しくお内仏を購入していたものなのですが・・
古い話をしますが、一昔前までは次男坊、三男坊が本家の土地を分け与えられて、家を造られたときには、必ずお内仏をも分け与えていました。『明日には礼拝、夕べには感謝』という教えが、門徒様方の心の中に広まっていたからです。
家にお内仏があったら、いつでも、かかさず仏様に感謝をしめすお給仕ができる。まさに、その一言だったからでしょう。
現代では悲しいことに、親自体が、そのような大切なことすら、教えていないのですから、その子供がお内仏を買わなくても、ある意味仕方がないでしょう。当然、お寺の方の力も足りなかったということも事実ですが、これからも何もしないわけにはいきませんから、三つ折り本尊だけは絶対に購入するように、指導をしています。
このあとも、現代の葬式、法事について話したいことがありますが、お給仕と話題が離れていくので、今回の苦言はこのあたりにしておきます。
七月からお盆です。お盆の簡単な説明や、飾りに対しては過去に説明をしてありますので、そちらの方をご覧願います。