第四十七回 お内仏の荘厳(お仏供 終)
長く続きましたお仏供の話も今回で、ようやく一区切りがつきそうです。本来なら、もう少し早く終わらせるつもりでしたが、御門徒様の家に参らせてもらうたび、新たに説明をし忘れたことを思い出した、ということです。
今回のお話はアバウトと言いますか、今までみたいに、型にはまった内容ではありません。ですが、やはり、重要な題材ですので、お話をさせていただきます。
その題材は、お仏供を備える時間です。
お供えをする時間、一般の家庭ではどうでしょうか。朝に、お仏供のお備えして、正午までに取り下げるということが多いでしょうか。
お内仏のお給仕としての正式な作法としては、そのようなことになっております。
当寺は、御門徒様に、お仏供を取り下げる時間までは、話題にしません。それには、理由がありまして、月例布教(月命日のお参り)をさせてもらう時間を、午後からとしているからです。
少し言い訳になりますが、御門徒さんは平等にお付き合いをしなければなりません。平等ということは、
「毎月、この家は、午前、月参りに行く。この家は午後、月参りに行く」と、そのように決めてしまわないことを持論としています。
なぜ、過ごしやすい午前中に、すべて伺わないかと疑問が出てくると思いますが、とても、一人ではまわりきれないからです。
午前には年忌の法事が入ります。葬式も午前に行われることが一番多いのです。また、忌明けまで(中陰中)の七日毎の参り、一年に一度の(祥月)命日のお経も午前に伺っております。訪問先も、月参りと違って、近場とは限りませんので、かなりの時間をとられます。
ということで、月参りは毎月の事ですので、時間変更等で、ご門徒の皆様に迷惑をかけないように、ほぼ時間を決めて、午後にさせていただいております。
説明が遅れましたが、全国と違いまして、ここ名古屋近辺では、真宗の僧侶たちは、月命日のお参りを「お月経(おつきぎょう)」と呼びまして、一巻あたりを、五分から十分ぐらいにかけて、『仏説阿弥陀経』を読ませていただいております。
わかりやすく説明しますと、亡くなられた日が、九月一日のご家庭がありますと、毎月一日に、そちらの家でお経を読まさせていただきます。亡くなられた人が複数おられる場合は、重ねて数人分、数巻読ませていただくこともありますが、その都度(月に何度)、もお参りにいかさせていただくご家庭も御座います。
ですから、月に四回お参りに行く家も、存在しますし。戦死者が五十回忌を終える前は、七回お参りした家もありました。
さて、なぜ、このような話をしたかというと、午後、月参りに行くと、お仏供が備えられている家が、かなりあるからです。
お寺のお経が終わるまで、お仏供をいただくわけにはいかないと、思っていらっしゃるのでしょうか。そのような見解が、やむおえないことですが、御門徒の方々に浸透しているということです。
仏典によりますと、仏様へのお供物は、朝、日が昇る時間にお供えをし、日が真上に上がる(正午)前には、お供えを下げる、ということになっております。
それは、お釈迦さま在世の時代には、比丘・比丘尼(仏様に帰依された方)は、食事をいただくのは午前中だけ、という戒律があったからです。
仏教の歴史をかえりみますと、教えは大きく二つに分かれ、南方はスリランカからタイへと、北方はチベットから中国本土、そして日本に伝わります。
その間、様々な事柄がありました。国の為政者によって、仏教の戒律を、変えさせられたところもあったそうです。『仏様の教えの真髄は永遠に変わらない、ことを忘れないでください』
いつのころからか、仏教に帰依される人たちが、正午をすぎたあとも、食事をしても、問題になることはなくなりました。日本に伝わったときも、そこまで厳しくはなかったでしょう。聖徳太子は午後も食事を、取っておられましたから。
奈良時代に墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)があったように、日本人のほとんどの人たちは、お米を作ることで生計を立てていました。一休さんの時代には、すでに登場していましたが、いつのころから庄屋さんが存在し、お百姓さんは、その年に収穫された米を庄屋に一任し、換金を受けました。それを統治しているご領主様である守護・地頭。江戸時代になってからは、大名・旗本に年貢として納めていました。
お寺もまた、治世者と同じように、門徒の人たちから、お米をお布施としていただいておりました。そのせいか、どうかわかりませんが、お寺は町奉行ではなく、寺社奉行が取り締まっておりましたが。
そのように米というものは、現在以上に生活に直結する大切なものであったのです。ですから、口に入らないうちに、腐らすなんて、とんでもないことだったのでしょう。
今は常温以外に保存する方法がありますので、当日でしたら、腐らせないようにすることもできます。
以上、様々な理由があるからでしょうか。宗派によっては、お仏供を下げる時間が、夕方と決められているところもあるそうです。
真宗のお寺も、まちまちです。お給仕の作法としては「お供えは、朝のお勤め(正信偈)をすまされたあと」、となっておりますが、下げる時間は、なるべく、食べやすい昼までに、という感じでいいのではないでしょうか。
ここで、大切なことは、「朝のお勤めをすませたあと」、という言葉です。人の心理といいましょうか。ほとんどの人が、お勤めを始める前に、お仏供を備えられるようです。お仏供様にも、お勤めの声を聞かせたい、と思っておられるのでしょうか。こちらの方は、お給仕の作法として、お勤めを終わらせたあとに、お供えをすることをおすすめします。大事なことは食べることよりも、お勤めをすることによって、仏様への感謝の気持ちをあらわす、ということではないかと思うからです。
最後になりましたが、ご飯をのせずにお仏器だけ、お内仏に飾られている家も、たまに見かけます。ほとんど、真鍮製品の仏器ですから、恐らくは、午前中に、*落とし、にのせたご飯だけを取り下げたのだと存じますが。荘厳的には、いかがでしょうか? もし、生き物でしたら、目の前に、食事が入っていない器だけが、置かれていることになりますが。
空(から)のお供えの問題は、次回からのテーマにも、つながっていきます。長い間、お仏供のお話をさせていただきましたが、次回からは供笥(くげ)の話にさせてもらう予定です。
今回の写真は、無し、というわけにはいきませんから、コンパクトで感じのいい、椅子に座ってもお参りができる、お内仏を掲載させていただきました。また、このような機会がありましたら、その都度、気にいったお内仏を紹介させていただきたいと思っています。
*落とし クロームメッキやステンレスを使った小さな受け皿、43回に写真掲載