第七回 大法要の仏具(其の二)


 続きの前に、一つ大切な補足説明をさせていただきます。
 現在、説明をしている法要名が結願日中(けつがんにっちゅう)ということは前回、紹介させていだきました。この結願という言葉を称する法要は、他にも二つあります。結願逮夜(たいや)と結願晨朝(じんじょう)です。
 逮夜というのは前日の午後一時から二時ぐらいから始まる法要です。夜がついているからといって夜ではありません。
 晨朝というのは言葉通り朝に勤める法要です。朝早く毎日、仏様に向かって読むお経のことです。
 日中は昼間にするお勤めです。開始時間は、午前九時半から午後三時ぐらいの幅があります。
 法要というものを正確に述べますと、この逮夜、晨朝、日中の一昼夜をさすことになります。
 本山、別院はそれを七昼夜、五昼夜という言葉で表します。本山の御遠忌ともなりますと、全国の門徒たちに参詣をしてもらうため、延べで百昼夜以上になることもあります。
 また本山の結願日中では、親鸞聖人の関東時代の苦行生活を具現する「板東曲」(ばんどうぶし)が詠まれます。
 では、前回の続きを説明しましょう。山主が高座からおり、もとの席に戻ると楽が鳴り止みます。その後、加役が配卓(はいしょく)をいたします。
 卓には聖人卓と巡讃卓の二種類があります。聖人卓は写真(1枚目)のように金箔仕様です。巡讃卓も同じく写真のような形のものです。
 皆様の家の御内仏に、経机という、お供えものを備えるときに使う似たようなものがあるかと思います。黒い外観に雲形の二枚の金板がはめ込まれています。その場所は仏具を入れる引き出しになっていると思いますが。
 巡讃卓は引き出し仕様ではありません。写真(2枚目)では見づらいと思いますが雲形の部分に蓮の花の彫刻が彫られています。また、金具も脚を含め、あちこちにちりばめられております。やはり、卓をおいたことで浄土の世界を意識したのでしょう。
 巡讃卓というのは、字の如く巡る讃と書きます。讃は正式には和讃(わさん)といいます。和讃というのは親鸞聖人がおつくりになられた讃歌です。その和讃は四行ありまして、最初の一行目を、その詠む役を持った僧侶が調声(ちょうしょう)として詠むのです。平たく言うと芝居の台詞の回しみたいなものです。
 そして、その回しの順番というのが、言いにくいことですが、僧侶の位で決まるのです。どの世界も社長とか生徒会長とか、役割というのがありますから違和感はないと思いますが。
 本願寺で法要の最高位にあたるのが御門首です。昔は全権力を持った法主と呼ばれていましたが、今は天皇陛下と同じく象徴みたい方です。その法要も御門首を招待する寺が少なくなりまして、本山、別院ぐらいになりましたが。
 さて、御門首が和讃を読むときに使う卓が聖人卓です。御門首・新門は向畳(むこうじょう)に座ってお勤めをするのです。向畳というのは内陣の正面左右に敷かれた高さ二十センチぐらいの畳です。昔からの寺院には、たいていありまして、その寺院は本来、お迎えをしなければならない御門首がお座りになるのを想定して向畳を用意しているのです。
 しかし、皮肉なことに御遠忌では逆に向畳を取り外すことが多くなりました。理由は御門首が列席しない法要では向畳は必要ではないし、なによりも役稚児たちが行道で回るときの安全を優先することが重要なこととなったからです。 御門首に配卓ができなくなった聖人卓は両余間に飾られることになります。
 また、阿弥陀様から左側の余間には、写真(3枚目)のような四幅の軸がかかっています。これは『親鸞聖人伝絵』と呼ばれるもので、聖人の一代記が描かれたものです。御伝鈔上下巻十五段の話を左から五、四、六、五の二十図にしたものです。それぞれ、段目がつけられております。今回は省かせてもらいますが、いずれ機会があれば、詳しい説明をしようと思っています。
 前回と今回、写真で紹介した仏具は浄土真宗の年間最大行事である報恩講でも用いています。御遠忌は、この報恩講を基本の形としております。
 その後、願生偈という偈文(報恩講のときは文類偈)が始まり、重たい感じの念仏が称えられます。これも法要の格によって変わってきます。皆様がよくお勤めの時に称えられる念仏は三淘(みつゆり)と呼ばれるものです。一般寺院の報恩講は五淘(いつつゆり)です。御遠忌となると八淘(やつゆり)となります。
 むろん、数が大きくなるにつれ、法要も長くなります。
 序である初重、破である二重と経が流れ、法要も最高潮を迎えます。急である三重念仏が始まり、それが終わると内陣から結讃担当の法中の「如来大悲の恩徳は~」の調声が大きく響き渡り渡ります。 二、三秒間の沈黙後、「身を粉に~」と振り絞った最大限の声が外陣から聞こえてきます。
「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし」
 まさに、命をかけると言えば大げさですが、それに近い声を出してお勤めをするのです。この、お言葉、本願寺門徒でしたら、どこかで聞いたことがあるでしょう、「恩徳讃」と呼ばれ、浄土真宗では会合や法話のあとに斉唱する曲です。聖人が晩年に残された『正像末和讃』の一遍ですが、真宗では、これこそ聖人が一番に伝えたかった本願の教えだとして大切に扱われております。
 そして、今まさに、この御遠忌の御満座で、本願念仏という仏の教えに出会うことができた感動や喜びの心(恩徳)を、この「恩徳讃」という和讃を読み上げることで表現するのです。
 その後、「願以此功徳」という回向文と続き、山主の最後の礼拝が終わると、⑤退出楽が始まり、後堂に近い法中たちが順番に退出をします。しんがりに山主が退出すると法要が終わります。時間にして約1時間半以上でした。
 ※御遠忌の場合には、退出前に満座御礼式という式を行うことが多く、その場では、山主の御礼挨拶はもちろん、本山祝辞、門徒代表挨拶、修繕会社の表彰などが行われます。そして、最後に、「恩徳讃」の歌を斉唱します。