第五十二回 お内仏の荘厳(前卓一)+真宗寺院


今回は前卓(まえじょく 写真上)の話から始まります。この前卓というのは、お内仏の中央に置く、ひときわ目立つ机(つくえ)と思ってもらえばよろしいです。
卓という言葉を辞書で引きますと、卓越したという言葉にも使われるように、ひときわ高い、というような意味合いです。付随として、仏前に置いて、灯・香・華を供えるのに用いる机となっております。
灯・香・華というのは三具足(みつぐそく)のことです。今回から、幾度かにかけて、前卓、三具足について、説明をさせていただきたいと思っております。
今回、掲載したのは阿弥陀堂型前卓というものです。実は、この前卓は門徒様の中に持っておられる方は、そんなにいらっしゃいません。たいていの方は次回、写真にのせようと思っております御影堂型(ごえいどうがた)前卓となっております。
阿弥陀堂型・御影堂(派によっては、みえいどう、とも読む)型というのは、本堂による形式の違いです。
浄土真宗の本山は、すべて、この二堂が存在します。
今回、浄土真宗の本山と呼ぶのは真宗十派です。
この十派は真宗教団連合(写真下)と呼ばれております。
では、ここで、十派につきまして簡単な説明を、表記順にさせていただきます。
真宗本願寺派ー西本願寺
通称、お西さん。場所は京都堀川七条。山号は『龍谷山(りゅうこくざん)』です。
真宗大谷派ー東本願寺
通称、お東さん。当寺の本山でもあり、場所は京都烏丸七条。歴史的経緯で山号はありませんが、『真宗本廟(しんしゅうほんびょう)』という別名があります。
どちらも、親鸞聖人血族の大谷家から派生したお寺で、
教団連合の御門徒の九割は、東西両本願寺の御門徒と言われています。
真宗高田派ー専修寺(せんじゅじ)
山号『高田山(たかださん)』三重県津市一身田。
栃木県真岡(もおか)の地に聖人が建てられたお寺です。真仏(しんぶつ)というお弟子があとをつぎ、室町時代に伊勢門徒の寄進により現代の地に移りました。
真宗仏光寺派ー仏光寺(ぶっこうじ)
山号『渋谷山(じゅうこくさん)』京都市高倉仏光寺。
真宗興正派ー興正寺(こうしょうじ)
山号『円頓山(えんどんざん)』京都市花園。堀川通沿いで西本願寺の南側に建っております。
この二つのお寺は、真仏の弟子、源海から分派をしたものと伝えられております。
真宗木辺(きべ)派ー錦織寺(きんしょくじ)
山号『遍照山(へんじょうざん)』滋賀県野洲市木部。
諸説ありますが、第三世覚如上人の息子、存覚上人のとき、一族が木辺氏を名乗られたようです。
真宗出雲路(いずもじ)派ー毫摂寺(ごうしょうじ)
山号『出雲路山』福井県越前市清水頭町。
覚如上人の弟子が開かれた一派です。
真宗誠照寺派ー誠照寺(じょうしょうじ)
山号『上野山(うわのさん)』福井県鯖江市本町。
真宗三門徒(さんもんと)派ー専照寺(せんしょうじ)
山号『鹿苑山(ろくおんざん)』福井県福井市みのり。
真宗山元(やまもと)派ー證誠寺(しょうじょうじ)
山号『山元山』福井県鯖江市横越町。
これら三つのお寺は、真仏の弟子、専海から分派したものと伝えられております。
また、毫摂寺以降の四寺はすべて福井県にありますので、越前四箇本山とも呼ばれております。
以上、十派をあげさせていただきましたが、実際のところ、浄土真宗には十派以外も存在します。
最近では、大谷家の血族から分派した長男の浅草東本願寺、次男の東山浄苑本願寺、四男の嵯峨東本願寺、(三男は大谷派前門首なので)とありますが、あまり、内聞のいい話ではないので、詳しい説明については、その別の機会にさせていただきます。
歴史的な話ですと、一番有名なのは茨城県笠間市の稲田御坊(いなだごぼう)と呼ばれている西念寺(さいねんじ)です。聖人が関東で、ほぼ二十年間住居にしていた庵が始まりですが、あまりにも影響力がありすぎて、真宗寺院にもかかわらず、どこにも属していません。
親鸞聖人二十四輩(にじゅうしはい)という言葉をご存じでしょうか? 聖人の教えに感銘された二十四人の弟子(よその宗派の僧もあり)たちが、聖人の死後、その教えを伝えるために創建されたお寺です。
一人の方が複数たてたお寺もいくつかありますので、その数、四十三カ寺が正統として残っております。
関東二十四輩は、いくつか本も出版されておりますので、興味がある方はそちらをご覧願います。
この二十四輩の中にも、真宗十派に属しているところもありますが、様々な理由で単立寺院も存在します。
寺院が単立(どこの宗派にも属さない)と聞くと、妙かもしれませんが、別に浄土真宗だけではありません。ほかの宗派でも普通にあります。
知らないだけで、四国八十八箇所、西国三十三箇所でも、単立寺院はいくつか存在しています。
観光、宗教行事だけでやっていけるお寺は、必ずしも本山は必要としませんから。
現代では、どこの宗派でも制約が厳しくなり、離脱(宗派から抜ける)をすることは、決してできないわけではないですが、難しくなりました。
ただ、昔はそうでもなかったようで、地方の話になりますと、ところの大名の寺社方とうまくやれば、いくらでも、本山をしのぐ大きな力が持てます。
また、明治維新になり、その寺社奉行というのが廃止されますと、しばられる理由もなくなりました。
昭和までは法人法に従い国に申請をすれば、本山から文句が出ても、簡単に離脱ができたようです。このことは寺だけではなく神社の方にもいえますが。
さて、このあたりでまとめに入ります。
真宗教団連合に属する十派は、最初に述べましたように、すべて境内地に、お釈迦様の教えである『経文』をお勤めする阿弥陀堂と聖人のお作りになられた『偈文』のお勤めをする御影堂との二つのお堂が存在します。このことこそが本山たる証の一つです。
一般寺院、お内仏は、これら両堂の特徴を取り入れております。
前にも説明しましたように、これら仏具の色、形には理由があります。次回から、それらの説明をさせていただこうと思っております。

