第五十四回 四月の法要(三)


四月になりました。本年もまた、お内仏のお話の途中ですが、四月の法要について、お話をさせていただきます。
同じような話になると思うのですが、あえて今回も、この議題にさせていただきます。
知らない人たちが多くなってきたと思いますが、京都のご本山では全国各地から寺院を集めての法要を年二回行っています。そのあたりにつきましては、去年も説明をしましたが、やはり、あらため話を進めます、もともと、四月の法要というジャンルを作ったのは、なぜなのか?を、どうしても皆様方に伝えたかったからです。京都のご本山から毎月発行している「同朋新聞」がございます。今回も、三月号の表紙は、この「春の法要」でした。この文章を書くたびに、「ああ、しまったなあ、もう一つ早く紹介をすればよかった」と思うのですが、
何にしましても、浄土真宗大谷派にとっては、とても大切なことです。さて、この大谷派のという言葉ですが、つい、二年前ぐらいですが、面白い問答がありました。小学生ぐらいの子が、大谷という会話を聞いて、中に入ってきたのです。「ねえねえ、大谷がどうしたの?」という。もう、わかりますね、その小学生の子が、どうして中に入ってきたか。そうです、とても有名な野球選手の話をしていると思ったのでしょう。
せっかく興味を持ってきた子に、「違う話だよ」とだけ言って突き放すわけにもいかないので、本願寺のお話をしました。「本願寺という大きな教団があって、そこを、ずっと鎌倉時代から、大谷という苗字の一族が代表として率いていた」というような、いざとなったら説明をしにくいというか、このようなことを話した覚えがあります。子供のほうは「そうなんだ」と残念がって帰って行きました。この名字、そっちの方で大変有名になったものです。ちょうどいい機会でしたので、その年配の方に大谷家の説明をした覚えがありますが。実際、お西は正式に「(浄土)真宗本願寺派」お東は「真宗大谷派」と言うのが正式名です。ここで、大きく勘違いをしてほしくないのは、お西も代表一族が、大谷家ということです。では、なぜ、お東を「大谷派」と言うのか紛らわしいでしょう。そう言われても仕方がないと思いますが、実際はそうなんです。
もともと、お寺には山号(さんごう)というものが存在します。本願寺は、京都では『龍谷山(りゅうこくざん)本願寺』と呼ばれていました。しかし、よその宗派とちがい本願寺だけは、宗祖親鸞聖人以来、妻帯をされ、御坊があった大谷という地名を取り、代々、その大谷家が本願寺の法主(ほっす)として、法灯をつないでいきました。しかし、織田信長とのいざこざの末、本願寺は二つに分かれることになってしまいました。
本願寺は当時、石山本願寺として、今の大阪城の場所に大きな拠点(本山)がありました。そこで織田信長と戦っていましたが和解をすることになりました。その結果、豊臣秀吉によって、今の堀川通の場所に本願寺の本山を移すことになったのです。当時は京都は応仁(おうにん)の乱という戦火に巻き込まれ焼け野原になっていました。それまでは、朱雀大路という大きな道路が京都のド真ん中を突き抜けていました。堀川通はその朱雀大路から東へ約一キロの距離です。当時の中心地といってもいいでしょう。そこに移転をすることになったのです。このままでは、何もなかったはずなのですが徳川家康が本願寺を二つに分けるきっかけを作りました。
徳川家康は若いころ三河の一向一揆に悩まされました。ですから、本願寺には警戒していたのでしょう。烏丸の土地を寄進し、父親の顕如(けんにょ)上人と豊臣家との考えでそりがあわず、隠居させられていた、長男の教如(きょうにょ)上人を迎え入れ新たな本願寺を建立させました。ということで、東西の本願寺はどちらも、大谷家なのです。
東本願寺と名乗ったのはなぜか? 正式な書類は残ってはおりませんが、いくつかの説があります。地図上よりも、徳川家康が関ヶ原で東軍側、だったというのが有力です。
お東、お西は明治までは、「東本願寺」「西本願寺」でしたが、正式に宗派を作る制度になったときに、西のほうは、『龍谷山本願寺』「(浄土)真宗本願寺派」となり、東の方は、大谷家をつぐということで、「真宗大谷派」と名乗って、現代にいたっております。学問の場である、大学・高校も「大谷」、「龍谷」という名称です。
長々と説明をしてきましたが、もう一つ「大谷派」は親鸞聖人を始め歴代の上人についての行事を、今の新暦にもとづいて行わさせていただいております。
十一月二十八日が亡くなられた日ですので、『報恩講』として、前の週から数えて約一週間。四月一日はお生まれになった日ですので、この一日から三日間(一昔前までは五日間)『春の法要』を行っております。ただ、親鸞聖人誕生会、と呼ばないのは、もう一方、この四月上旬に生まれた方がいらっしゃいます。
こちらは、ものすごく有名ですよね。生まれた時に七歩、歩まれ、『天上天下唯我独尊(てんじょうてんが(げ)ゆいがどくそん)』と言われたという方、そう、「お釈迦様」です。この、お釈迦さまの誕生もお祝いになっているのです。お釈迦様の誕生にたいする行事は、主だった寺で四月八日前後に『灌仏会(かんぶつえ)』または「花まつり」という名前で行われております。このこともまた、二年前にさせてもらったのですが、灌仏という言葉自体が、仏さまに灌ぐ(そそぐ)という意味ですから、その日には、仏教寺院は、お釈迦様の立像(写真下)に甘茶をかける儀式をします。
本願寺系のお寺は一昔前まではお盆と同様に、あまり力をいれてなかったのですが、やはり、仏教はお釈迦様の教えが源流ということですので、原点に返り、お釈迦様の誕生会をされる寺も、当寺を含め、以前より多くなりました。毎年、紹介をさせていただいておりますが、当寺は令和四年の第四日曜日に『親鸞聖人七百五十回御遠忌法要』を勤修させていただいたことを記念として、毎年、四月の第四土曜日曜両日に、新たな法要をさせていただくことにしました。土曜日の『こども報恩講』と日曜日の『納骨法要』です。やはり時代の流れでしょうか、一昔前までは、「お骨をお寺に納めた人たち」だけを対象にするなんて、けしからん、という風潮でしたが、今では普通の行事の一つになりました。「こども報恩講」も今のご時世ですので、なかなか……親鸞様とお釈迦さまの映画を見てもらうイベントを用意してますが、この写真は、その法要に使われるお釈迦様です。
ではまた、来月から、お内仏の法要について続けさせていただきます。

