第十回 切子灯籠


 

 今回は切子灯籠について、お話をさせていただきます。
 灯という言葉通り、あかり(灯り)です。今の電気、電灯ですか。
 あかりがつくものには、行灯(あんどん)があります。直方体の木組みに和紙を貼って、その中にろうそくや油の入った皿を入れて、灯していました。油皿は今でもお灯明で使っているところもあります。
 行灯は形としてはすっきりしています。周りを明るく照らすためには、遮蔽物がないほうがいいですので。
 ですが、あかりというのは照らすだけではありません。物事を表現するときにも使います。ネオン照明のように。
 行灯を伸縮自在にして、紋章や文字を入れたのが提灯(ちょうちん)です。この提灯を持っていると、相手に自分が何者かであることを知らせることができます。
 さて、灯籠の話にはいります。この灯籠というのは神社仏閣でよく見かけるものですが、昔の家では庭を作るときに石灯籠(写真)というのを設置しておりました。お仏壇の中にも、阿弥陀様の前にご面灯(写真)として金灯籠が一対つり下がっている家もあります。
 よく見ると、何か神秘的ですね。灯籠は火がついてなくても、形自身が表現をしているのです。もとは、インドの仏舎利塔ですが、中国の陰陽道具をモチーフにもしています。
 そう、灯籠は、もとは儀式のときに使うあかりなのです。そして、そのあかりは魔除けといわれておりました。

  儀式の一つがお盆です。七月盆と八月盆があります。13日が迎え火(お盆の入り)で16日が送り火となります。
八月盆が多いのですが、ところによっては七月に盆会(ぼんえ)を行う場所があります。旧暦と新暦の違いですか。
 京都では7月盆には祇園祭、8月盆は大文字焼で有名ですね。
 ということで7月~8月にかけてはお盆の時期になります。
 当寺も毎年7月盆から8月末まで切子灯籠をかかげます。
 さて、7月末には各地で七夕祭りが開かれます。その七夕祭りにも吹き流しをつけた大きな切子をかざるところが結構あります。
 家庭でも、お盆の時期に、仏壇の前に切子灯籠(略式はお盆提灯)を飾る家も増えてきました。
 昔、NHKでしたが何かの番組で、お盆と七夕についての説明をしていました。いつのことだったか、はっきりした記憶はないのですが、教授らしき人が、「日本人は七夕もお盆も同じ感覚になっている」とか その教授の言うには、「確かに中国では七夕は織姫(おりひめ)と彦星(ひこぼし)のロマンの話なのですけど、日本では、親しかった死者との再会とか何とか、本当によく覚えていませんが、そのようなことを話しておりました。
 私も当たらずといえども遠からずと思っております。
 お盆のいわれはインドです。釈尊の十大弟子の一人、目連(もくれん)とその母親の話です。お盆にお寺にお参りすると、お話をしてくれますので省かせていただきますけど、下はその出典です。

聞如是 一時仏 在舎衞国 祇樹給孤独園 大目犍連 始得六通 欲度父母 報乳哺之恩 即以道眼 観視世間 見其亡母 生餓鬼中 不見飮食 皮骨連立 目連悲哀 即鉢盛飯 往餉其母 母得鉢飯 便以左手障飯 右手摶飯 食未入口 化成火炭 遂不得食 目連大叫 悲号啼泣 馳還白仏 具陳如此 仏言汝母 罪根深結 非汝一人 力所奈何 汝雖孝順 声動天地 天神地神 邪魔外道道士 四天王神 亦不能奈何 当須十方衆僧 威神之力 乃得解脱 吾今当為 汝説救済之法 令一切難 皆離憂苦 罪障消除 仏告目蓮 十方衆僧 於七月十五日 僧自恣時 当為七世父母 及現在父母 厄難中者 具飯百味五果 汲潅盆器 香油錠燭 床敷臥具 尽世甘美 以著盆中 供養十方 大徳衆僧 当此之日 一切聖衆 或在山間禅定 或得四道果 或樹下経行 或六通自在 教化声聞縁覚 或十地菩薩大人 権現比丘 在大衆中 皆同一心 受鉢和羅飯 具清浄戒 聖衆之道 其徳汪洋 其有供養 此等自恣僧者 現在父母 七世父母 六種親属 得出三途之苦 応時解脱 衣食自然 若復有人父母現在者 福楽百年 若已亡七世父母 生天自在化生 入天華光 受無量快楽 時仏勅十方衆僧 皆先為施 主家呪願 七世父母 行禅定意 然後受食 初受盆時 先安在仏塔前 衆僧呪願竟 便自受食 爾時目連比丘 及此大会大菩薩衆 皆大歓喜 而目連悲啼泣 声釈然除滅 是時目連其母 即於是日 得脱一劫 餓鬼之苦 爾時目連 復白仏言 弟子所生父母 得蒙三宝 功徳之力 衆僧威神之力故 若未来世 一切仏弟子 行孝順者 亦応奉此盂蘭盆 救度現在父母 乃至七世父母 為可爾不 仏言大善快問 我正欲説 汝今復問 善男子 若有比丘比丘尼 国王太子王子大臣宰相 三公百官 万民庶人 行孝慈者 皆応為所生 現在父母 過去七世父母 於七月十五日 仏歓喜日 僧自恣日 以百味飮食 安盂蘭盆中 施十方自恣僧 乞願便使現在父母 寿命百年無病 無一切苦悩之患 乃至七世父母 離餓鬼苦 得生天人中 福楽無極 仏告諸善男子善女人 是仏弟子 修孝順者 応念念中 常憶父母 供養乃至七世父母 年年七月十五日 常以孝順慈 憶所生父母 乃至七世父母 為作盂蘭盆 施仏及僧 以報父母 長養慈愛之恩 若一切仏弟子 応当奉持是法 爾時目連比丘 四輩弟子 聞仏所説 歓喜奉行
『仏説盂蘭盆経』

 盂蘭盆(うらぼん)というのは、いい意味じゃありません。サンスクリット語でullambana、意味は逆さ吊りです。目連の母親は、逆さ吊りにあっているような、苦しみを受けていたということですね。
 浄土真宗では、このお盆のことを『歓喜会(かんぎえ)』と呼んでおります。目連尊者がお釈迦様から説法を受け、この苦しみから母親を助け出すたことができたという喜びからです。
 宗派以外の信徒の方は、お盆期間中毎日この『仏説盂蘭盆経』を詠まれる方がいらっしゃるようです。
 さて、この経典の中に、7月15日が何度も出てきます。初受盆という言葉も、この経典で伝えたかったことは、年々7月15日には過去7世まで亡くなられた方に施しをしなさいということですね。
 七夕は7月7日、盂蘭盆は7月15日わずか8日違いです。伝わっているうちにいろいろとあったのでしょう。
 さて、このように亡くなられた方に施しをするため、お迎えをする(自分から行くことはできない)ことになるのですが、昔の人はそのとき、先祖以外のものが、お迎え時に一緒についてくることを怖れました。そのため、ある工夫をすることにしました。行灯の中に梵字や経文を入れることにしたのです。
 和紙に梵字や六字名号をすかしにして、入れたりしました。
 また、和紙を吹き流し風に十何本と紐のような形にして、その行灯に垂らすように取り付けました。以前ですか、葬式に使う七条袈裟の修多羅(しゅたら)が経文を模していると説明したことがありましたね。吹き流しも経文を形取ったものです。
 形も神秘的にみせるように、いろいろと工夫をしました。このようにして切子灯籠ができたのです。
 切子は悪霊よけといわれています。それを、七夕に使われるということは・・・・・ あとは、想像に任せます。
 今までに、何度か出てきた魔とか悪霊というのは、お釈迦様の教えでは煩悩を表します。お釈迦様は、悟りをえるために、菩提樹の下で煩悩と戦いました。
 寺院の本堂には以前も説明したように、煩悩を断ずべきアイテムといいますか仏具をいくつか荘厳しております。
 この時期、余間に切子灯籠をかかげるということは、特に煩悩には気をつけなければならないということです。
 実際、暑さでイライラする時期には、心をより強く持たないといけません。蓮如上人も苦労をされたようです。御文(おふみ)の一帖目の二文目の、くくりには、『あつき日にながるるあせはなみだかな』というお言葉を残しております。夏の御文(げのおふみ)という特別なときに読む御文も残しました。
 私もつい最近、煩悩に惑わされるようなことが起きました。皆様も、お気をつけください。