第十一回 お彼岸


 暑さも、だんだんと引いてきました。日も一日一日短くなっていきます
 一日の長さが昼と夜と、まったく同じになったのが、彼岸のお中日です。我が国では、その日が祭日になっています。それだけ、この彼岸のお中日というのは大切に思われているのですね。
 大昔の人は、この夜と昼と同じ長さになることについて神秘的な考えを持っておりました。 よって、この前後三日間、合計七日間は、あの世とこの世が結ばれている間という考えが広まりました。
 この考えにも一応もとがあります。
 ある場所を想像してみましょう。大きな陸地があり、真ん中にとても壮大な川が流れております。川幅もかなり広くて、お互いに向こう側を見ることはできません。
 ですが、海原ではありませんので、必ず両岸が存在します。
 その両岸の名前を、それぞれ、此岸(しがん)、彼岸(ひがん)と呼んでいます。
 此岸とは私たちのいる迷いの世界、彼岸というのは、逆にまったく迷いの無い世界として説かれております。
 中を流れる川は三途の川と呼ばれております。
 さて、この三途の川ですが、皆さま方の中には、こう思っている人が多いでしょう。生者と死者の世界の間を流れる川という。
 実際、この三途の川ですが本当に色々な伝承があります。

 三種類の渡り方があって、それが生前の行いによって違ってくるとか、渡し守がいて、何とかかんとかとか。
そのあたりのことは、別の話になっていきますので、省かせていただきます。

 本来の三途の川は煩悩のことです。煩悩というのは人を迷わせるものです。煩悩を克服することによって、迷いのない世界にたどり着く、つまり、悟りを得ることになるのです。
 お釈迦様の教えに、”彼岸に渡れ”という一節があります。漢文の経典ではなく、南方に渡ったパーリ語の原始経典、『スッタニパータ』の第五章『彼岸道品』の一節です。
 学生(修行生)たちの集まりがあり、彼らは、感情的になって意見の言い合いをしていました。その彼らに、お釈迦様は、「心が満たされたかったらは彼岸を渡りなさい」という言葉を説いたそうです。
 彼岸の教えは、そこから来ております。
 さて、彼岸を渡るということは、先ほども述べたように、煩悩を超えるということなのですから、本当に難しいことです。今まで、何度か煩悩について触れましたが、悪魔というか、これ以上厄介なものはありません。
 ただ、お釈迦様も百パーセント不可能なことはいいません。一筋の光といいますか、果てしない海ではなく、川である限りは必ず向こう岸があります。
 これを彼岸、パーリ語でPāramī(パーラミ)と呼びます。音写語では波羅蜜(はらみつ)と書きます。到彼岸はパーラミータ、波羅蜜多。悟りに入るということです。
 ちなみに、此岸はsahā, 音写語で娑婆(しゃば)です。皆様になじみがある言葉ですね。

 お話を戻しましょう。 此岸は迷いの世界、彼岸は迷いの無い世界です。三途の川は煩悩を示します。煩悩の三毒、貪・瞋・癡(とん・じん・ち)です。
 もともと、三途という言葉は、刀途(とうず)、火途 (かず)、血途(けつず)を意味します。
 それは六道の中の三悪道、地獄(じごく)、餓鬼(がき)、畜生(ちくしょう)のことだと述べられております。地獄の業火、刀で押さえつけられる餓鬼、血を流し合う畜生と。
 宗派は違いますが、日蓮上人は、「瞋(いかる)は地獄、貪(むさぼる)は餓鬼、癡(おろか)は畜生」と『観心本尊抄』に述べておられます。三毒、三悪道、三途の根本は同じものですね。
 親鸞聖人の和讃にも『三途の黒闇開くなり 大応供を帰命せよ』と述べられております。
 さて、大応供という言葉ですけど、お釈迦様の教えを実践しようとしている僧侶たちに心からのもてなしをしなさい、という意味なのですが、実は、このことは、先月にも出てきています。

 それが、お釈迦様の教えを得るための修行の一区切りが終わる7月15日に菩薩や比丘の人たちに食事をもてなしたくだりです。
 この、僧侶たちに食事をもてなしことによって、目連の母親は、餓鬼道から救い出されました。餓鬼道は刀途、三途の中の一つです。
 そして、聖人の、この和讃の意味は、煩悩は、お釈迦様の教えを守り伝える人たちに、真となって(打算をしない)もてなしをする心、そして、それを実行することによって、追い出すこともできる、ということです。

 親鸞聖人の広められた、川(河)が煩悩であるというお話は、中国の善導大師(ぜんどうたいし)の『二河白道』の教えとして有名です。
  煩悩の根幹なるお話ですので、いずれ、ゆっくりと説明をしようと思っております。
お彼岸を迎えるにあたって、亡くなられた人たち(迷いが無くなった人たち)を思うことは大事なことです。そして、お釈迦様のお言葉、彼岸に渡れ、という意味も考えましょう。
 今回は仏具の紹介ができませんでした。代わりということではありませんが、当寺墓所内の親鸞聖人像をのせさせてもらいました。
 秋のお彼岸が終わると、真宗の年間最大行事、報恩講(ほうおんこう)がありますので、必要な仏具につきましては、説明をさせていただきます。