第四回 葩・華籠皿

 前回に続き、御遠忌に用いる仏具について説明を始めさせていただきます。
 まずは葩(写真1枚目)を、これは、はなびら、と読みます。普通は、はなびらというのは漢字で書くと花弁なのですが、仏教では葩という漢字を使わせてもらっています。
 葩は華葩(けは)とも呼ばれ、材質は紙でできており、蓮の花びらをかたどった形になっております。写真でご覧の通り、金箔で花びらが舞っている模様のものもあれば、黄や金銀地で天人、鳳凰、迦陵頻伽、火炎太鼓の絵が入ったものもあります。
 華籠皿(けこざら・写真2枚目)も仏具です。真鍮製で籠目模様、中央に蓮の実、その実の周りに蓮の花、皿全体に蓮の花びらがちりばめられております。そして、蓮型の分銅や鈴のついた、赤、白、緑の組紐がゆわえられております。
 葩と華籠皿は御遠忌の行道散華(ぎょうどうさんげ)に使われます。行道散華とは、僧侶たちが役稚児(注)と一緒になって、皿の中の、はなびらを上に放り上げるように蒔く行事です。
 華籠皿の中に数枚の葩を入れ、読経中、本堂内陣・余間を何周も回りながら、皿の中の葩を天から降ってきた状況をあらわすように散華するのです。
 散華された、はなびらの一部は、大間でお参りしている参詣者たちに届き、彼らはその葩をもって帰り、そして、御内仏にかざったり、お経の本に栞として挟みます。

 散華は、極楽浄土に咲く四華が天から降り注いだ状態を表していると言われています。
 四華というのは法華経によると、曼陀羅華(まんだらけ)摩訶曼陀羅華、曼殊沙華(まんじゅさげ)、摩訶曼殊沙華のことです。
 曼陀羅華というのはサンスクリット語でāndārava、天に咲く白い花で、芳香を放ち見る人の心に喜びを感じさせる美しい花と経典には伝えられており。白蓮華とも呼ばれています。
 阿弥陀経に、「晝夜六時 而雨曼陀羅華」という一文があります。これは曼陀羅華の花びらが、毎日、昼夜に六回、雨のように降り注ぐということです。本来、仏典上の花なのですが、日本では朝鮮朝顔をさしています。
 曼殊沙華というのはサンスクリット語でmanjūaka、天に咲く赤い花で、おめでたいときが起きる前に天から降り注ぎ、見るものの悪行を離れさせるとも伝えられており、紅蓮華とも呼ばれています。この花もまた、仏典上のものですが、日本では彼岸花をさしています。
 摩訶mahā というのは偉大な、優れているという意味で、摩訶曼陀羅華は大白蓮華、摩訶曼殊沙華は大紅蓮華ということです。
 写真(3枚目)は、当寺のふすまの蓮水図です。極楽浄土に、四華が咲いている場面が描かれていますね。

 当初は欄間の次に、ふすまにしようと考えていましたが、一ページたらずの説明で終わりますし、何よりも、御遠忌というものを皆さま方に理解を得てもらおうと思い、まとめさせてもらいました。
 散華の話に戻りますが、この散華の状態はまさに、見る人に仏法に出会ったことに喜びを感じさせる白蓮華、見る人の煩悩を捨てさせる紅蓮華のはなびらが、天から降っているということなのです。
 私たちが仏縁、つまり、仏様の教えに出会うということは、そのこと自体が私の力(自力)ではなく、天から、つまり御仏の力によって与えられていることをあらわしているのではないでしょうか。

 散華の始まりは、我が国では天平時代の大仏開眼(大仏を建立したときの記念法要)だとも云われています。

 大仏開眼は、当時、大陸から伝染した天然痘の収束を願って、東大寺で行われたものです。その後、興福寺、金堂大修繕の大法要をもって、今の形の基礎が築かれたと伝えられています。
 親鸞聖人は、その興福寺と考え方の相違によって対立し、越後に流罪となりました。そのことにもかかわらず、真宗大谷派は、散華を、その親鸞聖人御遠忌法要の目玉行事としています。
 実際、御門徒さんたちから次のような質問を受けることがあります。聖人は既成宗教を否定し、”自分が亡くなった後は死体を鴨川に流し魚の餌にしてくれ”という遺言を残したのに、なぜ本願寺は、その後、何度も聖人についての法要を続けるのか? という。まったく、ごもっともな質問です。これは、『改邪鈔』(がいじゃしょう)という文の一文です。
 明確な返答はできません。ですが、真宗大谷派は聖人だけではないのです。歴代の御門主様のお力、特に中興の祖と呼ばれている蓮如上人の教えも大きく取り入れて成り立っているです。
 蓮如上人は親鸞聖人の亡くなられた153年後に生まれた方で、当時の本願寺は、ただ続いているだけの将来は風前の灯火のような状態でした。そのため、様々な苦労をされ今の真宗教団の基礎をお創りになりました。(一向一揆を含め、蓮如上人のお話は、当寺の御遠忌後、機会があれば説明させていただきます)
 蓮如上人は、お釈迦様の蓮の教え(第一回の時に説明済み)を大事にしていたと思われます。
 本山を蓮の実、そのまわりの蓮の花で中核寺院(別院)をあらわし、一般寺院(当時は末寺と呼ばれた)を飛び散る花びらとして念仏の教えを広めていったのです。まさに、写真の華籠皿の模様ですね。
 散華をするということは、いつの世にもお釈迦様の教えを隅々まで広めていくという、蓮如上人を始めとした、歴代本願寺門主たちの願いでもあるのです。
 真宗大谷派は、50年ごとに親鸞聖人とこの蓮如上人の御遠忌法要を行います。当寺も21年前の平成13年に『蓮如上人五百回御遠忌法要』を厳修し稚児行列を出させていただきました。
 稚児については、このホームページ内に軽い説明がついていますので御一読ねがいます。

注)役稚児

 言葉通りに、役(法要のお手伝い)をする稚児のことです。
 内容は、まず1人1人が華籠皿を内陣に座っている僧侶たちに配ります。
 そのあと行道が始まると、葩を散華する僧侶たちと一緒に内陣、余間を回ります。
 そして、行道が終わると、僧侶たちから華籠皿を受け取ります。