第二十九回 一般法要時の荘厳(一)

 今年も、お彼岸の季節が来ました。お彼岸は特別な行事ですので、荘厳も特別な飾り方になります。
 特別といっても仰々しいことではありません。お彼岸団子を飾った供笥(くげ)を供えて、打敷(うちしき)水引(みずひき)を掛けます。
 実は今回、この打敷の飾り方について、大きな指摘を受けました。少し間違ったことを書いているから、すぐに、訂正した方がいいという指摘です。
 今回は、その訂正の話がメーンとなります。

 今まで、当寺の様々な仏具を説明しましたけど、実は半分は本山仕様では御座いません。許可付きや禁止仕様も、当然ありますが、ほとんどはコストの問題です。
 卓の脚金具一つをとっても、脚の周り四方向は、平面だけの平打ちです。ですが、本山仕様は、四方すべてがつながっている、かぶせ金具です。真鍮製の細長いキャップが、脚先にはめ込んであるという感じでしょうか。
 もともと、金具の役割は、木で造られている仏具が腐らないように保護するためでした。長く使っていると、どうしても、木の継ぎ目や先っぽから痛んできますから。
 それを、見栄えをよくするということで、飾り金具となっていったのです。ですから、本来なら、キャップのようなものをはめて、脚先まで、もれないように保護しなければならないのですが、かぶせ金具一つ一つを真鍮で造るのには、非常に手間がかかるので、保護というよりも、手軽に手に入る、見てくれだけの様式の仏具が普及したのです。

 打敷を掛ける場所も卓です。中央の筆返し(ふでがえし・各写真)のついた卓、これを前卓(まえじょく)と呼びます。その上、阿弥陀様の前にも卓があります。こちらは上卓(うわじょく)という名前です。
 この前卓についてですけど、本山仕様は、筆返しが、下水板(げすいた)ではなくて前卓に直接付いています。こちらも大変な技術がかかるのでしょう。九割九分の寺院は、そのような前卓を持っていません。
 ですからこそ、筆返しは下水板の上にはめるものだという認識が広まったのでしょう。何にしても、筆返し直付けが、真宗大谷派の基となる荘厳です。

  前説明が非常に長くなりましたが、ある程度の筋は読めたかと存じます。
 前卓に筆返しが付いていたとしたら、どのように打敷を掛けるのでしょう。そのまま掛けて三具足をおいたら、不格好になります。だいたい、打敷の上に直接、具足を置くことは安定上よくありません。
 では、本山では、打敷をかけるときにどうするかというと、まずは筆返しを前卓からはずします。その上に打敷をはさみ下水板で抑えます。そして、具足をのせます。
 わざわざ取った筆返しは、下水板の上に改めて取り付けることはしません。つまり、前卓には水平線の下水板がのっているということです。
 今回指摘を受けたのは、ここです。真宗大谷派の作法では、打敷を掛けるときは筆返しをはずしておくという。
 ということで、一般寺院では、下水板を水平のものに交換するか、下水板についている筆返しを取りはずすことになります。
 筆返しを辞書で調べると、机に置いた筆が、転がり落ちないように、机の両横に取り付けたもの、となっています。つまり、上等な机の付属品ということです。

 では、この筆返しを取り外すことに話を持っていきます。まずは、この筆返しですが、写真のように、地肌には金箔、金具は真鍮に金メッキ仕様ですので、素手で触ると曇ります。よって、扱うときは手袋を用いる方が多いでしょう。
 また、取り外すのに少しコツがいります。組み込み式といいますか。外すときは、強引に引っ張るのではなくて、ずらして、すべるように引いて外します。また逆に取り付ける場合は、下水板の穴に、はめ込んでくいっと押し込むような感じとなります。木工になじみがなく、一度も外したことのない人は戸惑うかと存じます。
 また、中には、外せない仕様の下水板も存在します。以上のことによって、打敷をかけるとき外さないお寺も、ある程度はあります。
 在家のお内仏でも、筆返しが直付きの前卓を所持しているところは、まずはありませんので、違和感を持ちません。(逆に無いことに気づいたら持つかも)
 下水板も、二枚あるところは存在しますが、筆返しが取れる仕様になっていることは絶対にありません(幅、高さ一センチでは、小さすぎて無くしてしまう)
 このような状況では、とても、お寺としても、打敷をかけるときの下水板は水平まっすぐが正式な荘厳、とは言うことはできません。
 ですからこそ、先月、五具足を飾るとき、下水板が二枚あるお内仏は(せっかく、仏具としてあるのだから)それらを使い分けることをすすめたのです。

 今回は、ほとんど、お彼岸の荘厳が、この話だけになってしまいました。水引、供笥については、またの機会ということになります。
 さて、このまま、話が終わっては味気ないので、一つ大切だと思うことを言わせていただきます。
 昔、荘厳の先生が次のようなセリフを、絶えず、おっしゃっていました。
 荘厳は本質(本来の飾り方)を知っていなければならない。知っていた上で省略をするのはかまわないが、知らないのに省略をするのは、よろしくない。と
 実際、拙僧も、本山の前卓は直付けということを知らなかったゆえに、間違いを書いてしまい。それを指摘されることになりましたので、身に感じますが、この荘厳の先生のおっしゃられた言葉は、この世の職業、すべてに当てはまります。
 本質を知らずに、見よう見まねで楽をしていたら、とんでもないことに陥ったと、もし、最初から、これは略したもので、本来はこのようなものであると知っていたら、そんな目にはあわなかったでしょう。
 今回は、そのような話でまとめさせていただきます。