第二十二回 太子像

 前回、七高僧について、軸と共に簡単な説明をさせていただきました。
 この七高僧軸というのは、ある軸と一対になっています。その軸というのは聖徳太子絵図(写真1)です。
 聖徳太子は、皆様ご存じの通り、飛鳥時代に仏教を日本に初めて取り入れた方です。
 当時の帝、用明天皇の第二子で、厩戸皇子(うまやどのおうじ)と呼ばれていました。また、上宮王(じょうぐう)とも呼ばれております。
 法隆寺の建立、十七条憲法、冠位十二階と様々な事業をなしとげました。
 二年前には、法隆寺など、ゆかりのある寺々で、「聖徳太子千四百年御聖諱(ごしょうき)法要」が行われました。
 当宗派の寺院でも、「宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要」に併せて、「聖徳太子千四百年御遠忌法要」をされる寺が、いくつかありました。

 古来(明治以前)からの仏教寺院は、ほとんどが聖徳太子の立像(写真2)を所持しております。どこからか賜っているのです。
 当寺は写真のように、仏具専門の倉庫に閉まっているだけの状態ですが、専用の厨子に(ずし)の中におさめておられているお寺や太子堂という建物が建てられている寺も結構あります。

 聖徳太子の肖像の原画は「聖徳太子二王子像」という名称があります。
 太子信仰の元となった肖像画で、中央に烏帽子(えぼし)姿で笏(しゃく)を持った聖徳太子、左側が弟君の殖栗皇子(えぐりのみこ)、右側がご子息である山背大兄王(やましろのおおえのおう)となっております。
 だから、当寺も三体あるのではないでしょうか。
 厨子が金庫並みに丈夫だったので、戦災で本堂が焼失したのにもかかわらず、残られたようです。

 聖徳太子における仏教に対する思いは、十七条憲法の二条目に表されています。
 『二曰、篤敬三寶。々々者佛法僧也』
 という言葉です。曰というのは日ではありません。曰く(いわく)です。第二条目という意味ですね。
 その二条目に説かれているのが、このお言葉、
 「篤(あつ)く三宝を敬え、三者は仏・法・僧なり。」と書き下すとなります。

 仏というのは言葉通り、仏陀(ブッダ)、ほとけさまのことです。
 法というのは、梵語でダルマ、またはダーマとも読みますが、真理、つまり仏様の教えのことです。
 僧というのは、一人の僧というよりも、僧伽(そうぎゃ)梵語ではサンガ、教団のことです。教団とは、仏様の教えを受け入れ、実践する人たちの集まりを意味します。

 この三宝は、三帰依文からきております。
 仏教経典は様々な言語で書かれております。代表的なものにサンスクリット語(梵語)、パーリ語、チベット語があります。
 主にインド国内がサンスクリット語、北部のチベットを通して伝わっているのがチベット語、スリランカなど南方で使われていたのがパーリ語です。
 もとは、そのパーリ語で書かれたもので、

Buddham saranam gacchami
Dhammam saranam gacchami
Samgham saranam gacchami    です

 最初のBuddhamは仏、二番目のDhammamは法、そして三番目のSamghamが僧となります。
 saranamは帰依する、 gacchamiは私自らと、いう意味です。
 誰かに強制されるのではなく、自分自らが、仏に帰依します。法に帰依します。僧に帰依します。
 ということを表しています。
 三帰依文は、もとは、お釈迦様の教えを聞き、弟子になるとき、その儀式として用いられた言葉です。
 ですから、今でも法話をする前、この三帰依文を最初に読まれるお説教師が何人かおられます。

 聖徳太子は、親鸞聖人の御絵伝(ごえいでん)の中にも出てきます。
 「上巻第三段 六角夢想」
 聖徳太子建立といわれる京都の六角堂で、聖徳太子が救世観音(ぐぜかんのん)のお姿で親鸞聖人に夢告(むこく)をされたお話。
 上巻第四段 蓮位夢想」
  聖人の弟子の一人、蓮位房の枕元にあらわれ、親鸞聖人こそ阿弥陀如来の生まれ変わり、だと告げられたお話があります。
(御絵伝につきましては、機会がありましたら、順番に説明させていただきます)

 このような理由で、浄土真宗でも、聖徳太子はとても重要な扱いとなっているのです。
 わが宗派の各寺院は、京都御本山から賜った太子像の軸(四十九歳、伝灯演説、大慈大悲、敬礼菩薩の文字入り)を本堂内にかけております。
 この軸というのは冒頭に説明したように七高僧軸と一対になったものです。
 御本山や大きな別院では、毎月、聖徳太子の命日である22日(祥月は2月22日)に特別な法要をされます。
 そして、各寺院でも毎月22日のみ、聖徳太子像の軸の下に置く四方卓(しほうじょく・写真3)に御仏飯(おぶっぱん)を供えることが荘厳となっております。

(七高僧も同様に、月初めから、天親の命日と伝えられる3日、曇鸞の7日、源信の10日、龍樹の18日、源空の25日、道綽・善導の27日に、四方卓の上に、荘厳として御仏飯を供えることになっております。
 25日には蓮如上人像の軸にもお供えします)

 聖徳太子は日本仏教の祖ともいわれるお方です。そして、三帰依文からの三宝を大切にされました。
 これから、旧盆、そして、お彼岸と仏教ゆかりの行事が続いて行われます。そのとき、この三帰依文を思い浮かべ(できれば声に出してとなえる)ながら、参加していただけると喜ばしいことです。