第二十一回 名号(其の二)

 夏の暑さも本格的になってきました。来月からお盆が始まります。お盆の説明については、去年ある程度説明をしてありますので、そちらをご覧願います。

 さて、前回は善導大師のところで話を終わらせていただきました。
 善導大師というのは七高僧(しちこうそう)の一人です。七高僧というのは、親鸞聖人が浄土真宗をお開きになったとき、その師であった七人のお坊さんのことです。
 写真は、当寺の東余間にかかっている七高僧図です。
 一番上の二人は、天親菩薩(てんじんぼさつ)と龍樹大士(りゅうじゅだいし)です。この方たちはインドのお坊さんですね。
 次の段の方が曇鸞和尚(どんらんかしょう)、その下の段に道綽禅師(どうしゃくぜんし)と善導大師(ぜんどうだいし)が描かれております。この三方は中国のお坊さんです。
 一番下の段に源信僧都(げんしんそうず)、源空上人(げんくうしょうにん)となっております。
 源空上人というのは、親鸞聖人の師匠である法然上人(ほうねんしょうにん)のことです。
 法然上人は、天台宗の有名なお坊さんの二人から名前をとって源空と名告って(なのって)おりました。

 以上の方々が七高僧です。図では、龍樹が右側になっていますが、順番ではこの龍樹が第一祖となります。  龍樹、天親、曇鸞、道綽、善導、源信、法然上人の順番です。
 この七人の方は正信偈に登場します。
 最初のページを1ページとしますと、
13ページに『龍樹大士出於世』
16ページに『天親菩薩造論説』
19ページに『本師曇鸞梁天子』
22ページに『道綽決聖道難證』
24ページに『善導獨明佛正意』
26ページに『源信廣開一代教』
28ページに『本師源空明佛教』
 となります。
 それぞれの功績について述べられていますね。

 七高僧はみな重要な方なのですが、今回は名号の話ですので、名号に関係ある方々について、お話をさせていただきます。

 十字名号(帰命尽十方無碍光如来)は天親菩薩が表したお言葉です。天親は世親(せしん)とも呼ばれた方で、浄土の教えについて『浄土論』という書物をお書きになりました。
 その中の句に、『帰命尽十方・無碍光如来』というお言葉が御座います。
 聖人はこのお言葉を大事にされたのです。
 尽十方というのは四方八方あまねく方向からという意味です。無碍というのは、奥深くて、とても一口で説明ができるものでは御座いません。
 ただその光は、どのようなものであっても決して遮られることはない! 煩悩(ぼんのう)でさえも突き抜けるということです。
 私たちは、その仏様の教えを、あまねく方向から受けているということはもとより、仏様側からも、その教えが届かないところはないということをあらわしています。
 このお言葉は法要の結びに必ず詠む回向にも用いられております。

 九字名号(南無不可思議光如来)は、図では曇鸞和尚となっております曇鸞大師のお言葉です。曇鸞は天親の『浄土論』の内容を注釈された『浄土論註』を書かれました。『天親菩薩論註解』という一文にそのことが記されております。
 九字名号は、この曇鸞の著書の一つ、『讃阿弥陀仏偈』(さんあみだぶつげ)という偈文(げもん)の一句です。
 親鸞聖人の浄土和讃は、この『讃阿弥陀仏偈』の中のお言葉を引用したものです。
 偈文の最後の方に『南無不可思議光・一心帰命稽首礼』という句があります。正信偈の二句目にも記されています。
 不可思議、不思議(不可思議は主に仏教用語)ともいいますが、これも奥深い言葉です。一般には説明がつかない自分が理解できないということを不思議と言います。
 親鸞聖人のお言葉を残された歎異抄(たんにしょう)という書物があります。唯円(ゆいえん)が書かれた有名な書物で、その第一条に『弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて』というお言葉があります。
 非常に大切な一文なのですが、拙僧は学が浅くて、うまく説明ができませんので、歎異抄についての解説書を読まれるのがよろしいかと存じます。
 何に致しましても、それだけ聖人はこの南無不可思議光というお言葉が、阿弥陀様を表すということに、大きな感銘を受けられたのでしょう。そして、南無不可思議光如来を九字名号にされたのです。

 聖人は生まれたとき松若丸(まつわかまる)、得度をされたときに範宴(はんねん)という名でした。
 法然上人の弟子になったとき、綽空(しゃくくう)と名付けられました。また、善信房(ぜんしんぼう)という名前もいただきました。
 法難で越後に島流しをされたときは、俗人ということで、藤井善信(ふじいよしざね)という名前になりました。
 ですから、ややこしい表現になりますが、親鸞と名告られるまでは親鸞ではなかったのです
 綽空は、道綽と師匠の源空からいただいた名前です。善信は、法然上人から、浄土の本流を次ぐということで善導・源信から一文字をいただきました。
 ですが、聖人のお心は、天親菩薩、曇鸞大師の方にあったのでしょう。後に再び僧に戻られたとき、大切な十字名号、九字名号の教えをさずけてくださった二人からお名前を一字づつ取られたのです。
 そのときから、聖人は自分のことを愚禿釋親鸞(ぐとくしゃくんらん)と名告ることにしました。
 愚禿というのは言葉通りにあらわすと、愚かな禿(かむろ)まだ一人前ではない子供という意味です。
 大昔は付き人の子供のことを禿と呼んでいました。
 このようにへりくだった表現をされたのです。

 歴代の本願寺の法主(ほっす)の方たちは、南無阿弥陀仏の六字を含め、十字、九字名号を大切にしてきました。
 お寺の建立時に、本尊はもとより、十字、九字の両名号を授け与えたのです。
 当寺は戦災にあい消失しましたが、災害に遭わず無事だったお寺には、今でも蓮如上人の六字名号、そして当時に授けられた、十字・九字の名号が残っております。
 このように、阿弥陀様を表現した名号は浄土真宗にとっては命(いのち)といえるべきものなのです。