第十二回 報恩講の仏具(一)



 今月から報恩講の話をさせていただきます。
 報恩講は浄土真宗の一年で最大な行事となります。
 当寺では毎年11月4日と5日の両日にわたって、一昼夜法要を厳修(ごんしゅう)させていただいております。
 親鸞聖人の遺徳(いとく)を偲(しの)んだ行事で、京都の御本山では聖人の祥月命日(しょうつきめいにち)に当たる11月28日、その日から一週間さかのぼって11月21日午後から厳修されます。
 名古屋別院は12月13日から18日までです。
 各寺の報恩講はもっと、日にちがばらけております。10月初旬から3月中旬までの約半年間ですか。
 別院でも、新潟県の高田別院が10月6日から9日の4日間、対して、愛知県の三河別院は3月3日から3月8日の6日間、厳修(ごんしゅう)されます。
 ですが当寺も含め、大部分のお寺は本山と同じ11月にされます。
 次に多いのは12月ではなく、年があけた1月です。12月は何かと忙しくて日たらずということもありますが、もっと大きな理由があります。それは、親鸞聖人が亡くなられた11月28日を当時の暦に合わせると、現在では1月16日に当たるということからです。
 一年でかなり寒い日ですね。実際、本願寺派の本山、西本願寺と高田派の本山である専修寺は(せんじゅじ)は、報恩講の御満座(ごまんざ)を1月16日にしております。どうも、話によると、1月中旬頃の寒さを身にもって、親鸞聖人の苦労なさった生涯をおもんみるということです。

 さて、苦労をされた話となりますと「大根焚」(だいこだき)があります。大根焚というのは、直径10センチほどの大根を輪切りにして、大きな鍋で煮ます。当時はガスや電気調理器というものは存在しないので、大根を醤油や塩と一緒に大鍋の中に入れて、蓋をしてその上に石を置き半日以上の時間をかけて煮込みます。
 すると、べっこう色にそまった大根が、水分が抜けたせいで一回り以上小さくなりますが、おいしくできあがります。
 一度、食されるとわかりますが、素材は質素ながらも、大根が舌の上でとろけるとなんとも言えない、ほっこりした味です。
 「大根焚」の元祖は京都鳴滝の了徳寺に伝わる話です。聖人が法然上人と行脚していたとき、その地で大根焚をふるまわれました。聖人は感激して、すすきの穂に「歸命盡十方無礙光如來」という十字名号を書かれたということですが、もう一つお話があります。それは、越後に流された聖人が真っ先に食した食べ物ということです。
 聖人は流罪になられたとき上越市高田の居多ヶ浜(こたがはま)という場所に上陸されました。そのとき、地元の方が大根でもてなしをしてくださったそうです。越後は米どころで有名なのですけど、あまり、聖人の話で米のことが伝わっていないところから、当時の鎌倉時代、上越市のある場所はいい状況ではなかったみたいですね。ということで、大根焚は高田の地でも元祖に近い扱いになっております。
 当寺もコロナになる前は、お斎(おとき)に大根を使っておりました。ただ場所柄、煮炊きではなく、軽くゆでた大根に、ゆずとか色々な調味料を入れた八丁味噌のあんかけという形ですが。
 大根料理ということは変わらなかったので、お斎のメーンとして皆様に喜ばれていました。

 あと地方では、いとこ煮というものが,お斎に使われております。
 いとこ煮というのは、小豆に大根、にんじん、ごぼうの根菜をメーンに、油揚げ、里芋、カボチャなどの秋冬野菜を煮込んだ料理です。
 親鸞聖人は小豆が大好物だったようです。ただし、ぜんざいや汁粉のように、砂糖を用いたものは、あまり食しませんでした。小豆に上記の野菜をまぜ、塩を入れて、味付けをしておりました。
 聖人は、自分の庵を訪ねた客人たちに、このいとこ煮を菓子代わりとしてふるまっていたようです。
 後付になりますが、根菜は杖、油揚げは袈裟、里芋、かぼちゃ等は、聖人が道中に枕にしたという石をあらわしてるということです。
 この道中の枕にした石というのは、関東、北陸に、いくつか残っております。これらの石たちは聖人の苦労を偲ぶ証という扱いになっております。
 いとこ煮という名前も、食材同士が従兄弟という説がありますが、やはり、大学の先生が話していた親鸞聖人の遺徳(いとく)がなまったいう説が有力だと思っております。
 本山では今も,お斎にいとこ煮が出ます。

 まだまだ報恩講での、もよおしについてお話をしたいのですが、テーマから少しはずれますので、続きは次の機会とさせていただきます。
 さて、テーマの仏具ですが、前も説明しましたように言葉は少し変ですが、御遠忌に飾る仏具は報恩講の上位互換ということになります。
 つまり、報恩講に飾って御遠忌で飾らない仏具はないということです。ということで、今から紹介する仏具は御遠忌でも用いております。

 最初に説明をさせていただくのは大法要時に、祖師前(親鸞聖人)の厨子(ずし)の前に飾る「月型仏器台(写真1枚目)」です。お西は雪見型仏器を厨子の前に飾ります。著作権上、写真を掲載することができませんが、興味のある方はお調べ願います。
 さて、東西両本願寺、このような形の違う仏器台ですが、聖人へのお敬いの気持ちを形にしようと勘考した結果、お供えという言葉にふさわしい月や雪見台の形に似せて生まれたのでしょう。
 仏器台というからには当然、仏器が存在します。仏器というのは仏飯(ぶっぱん)をのせるものです。大谷派では御仏供(おぶく)と呼びます。
 御仏供というのは、日々、自分が仏様の力によって生かさせてもらっていることを感謝し、その仏の教えを受けている喜びをあらわしている証でしょうか。今はパンを含め多種多彩ですが、昔は日本人にとって、毎日、かかせないものが米でしたから、その米を供えることになります。お内仏がある家は、毎朝、供える方が多いと思います。
 東(大谷派)はのっぺりした真鍮製の普通の仏器ですが、西は違っています。蓮台をあらわすのか、こまかく蓮の形が彫られております。
 当然,彫刻分、根が張るのですけど、格好がいいので東でも用いているお寺があります。

 次は「七角香盤(写真2枚目)」(しちかくこうばん)です。言葉通り香炉をのせる台です。写真で見たように、これまた独特な形をしておりますね。ただし七角には理由があります。それは、ちょうど、鶴亀の亀の頭が入るような角度になっているのです。

 厨子前に卓(しょく)がありまして、普段はその場所に三具足を配置します。三具足とは真鍮製で作られた仏具で、左から花瓶、香炉、燭台である鶴亀となります。皆様の御内仏も一緒かと存じます。
 報恩講以上の法要になりますと、は阿弥陀様、祖師前にお敬いの意味を込めて、飾りが三具足から五具足になります。五具足とは雄雌の鶴亀一対と、花瓶が左右一対、そして中央に香炉です。
 末寺では御影堂のある本山と違い、祖師前はそんなに広くはありません。それでも、親鸞聖人の遺徳を偲ぶ報恩講ですので、五具足を祖師前に荘厳させていただくことは真宗寺院の務めだと思っておられる住職もいらっしゃいます。ですが、スペース上、五具足を飾るのが難しいことがあります。その場合、(本山の正式荘厳では認められておりませんが)亀の頭を香盤のくぼみに入れるのです。そうすると余裕ができるので五具足が飾れるということです。
 まだまだ説明をしたい仏具が、いくつもありますが、来月以降にさせていただきます。