第十三回 報恩講の仏具(二)



 

 京都ご本山では、11月21日から28日にかけて、報恩講が始まります。当寺も11月4日・5日両日にかけて報恩講を厳修します。
 報恩講をお勤めするということは、決して、寺関係だけではありません。在家(寺以外の家)でも、お勤めをします。
 一般には、お取越(おとりこし)という言葉で有名ですが、地方によっては、お通事様(おつうじさま)とも呼ばれています。
 同宗派の寺院では、一年に一度、各御門徒様の家に、お参りされる寺院もあります。お盆の代わりにおとりこしを行う、普段、お参りができない家については大切なことだと思います。

 しかし、おとりこしは昔(今も続いているところもあります)は、違った形で行われていました。僧侶は抜きで、集落の人たちが、同行(どうぎょう)と呼ばれるグループ集団でお勤めをしていたのです。
 しかし、ややこしいことに貧富の差によって、グループ分けが決まっていました。だから、家の格が違う場合は、たとえ、隣りや真向かいにあっても一緒の同行ではなかったのです。
 やはり、同じ身分だから同行というのでしょうか。親鸞聖人の教えから離れている気もしますが、そのような形で成り立っていました。
 さて、同行の話に戻りましょう。親鸞聖人の命日(新暦、旧暦どちらかの11月28日)となりますと、この同行の人たちが、お宿(持ち回りで主となる家)に集まります。そして、皆が集まったら、宿主が導師となり、お内仏の下の場所から台座を引き出して、その上に座ります。
(普段から台座を出している家もありますが、側面の金箔がはげたり、畳が汚れてしまうので、普段はしまって、法事のような法要以外では、使わないように私は指導をしています)
 しかし、江戸時代(現代でも、わずかながら、そういう決まりが残っている集落は存在する)では、その導師に女性がなることは許されませんでした。これは例外はなく、 たとえ、御主人を亡くしていても同じです。ある程度の年をえた子供がいない場合は、他の同行の人にゆずらなければなりませんでした。
※お上に逆らえば首が飛ぶような封建的な時代であったため、家主がいないという理由で、同行を抜ける、それ以前に宿をお断りすることは、粛正をさけるために絶対にできなかった。
 身分違いとか女性差別、今では物議をかもし出す問題ですが、嘆かわしいことに、江戸時代では、ごく当然のことだったのです
 実際、私の知っている同行の一つは、今でも女性の参加はできません。しかし、今の時代、抜けること自体はまったくの自由ですので、だんだんと参加する家は減ってきています。ですが、まだ、その同行は残っております。やはり、しばりのようなものがある方が結束が固まるのか、色々と考えさせられるものです。

 話を戻しますが、何はともあれ、導師がリンをたたき、正信偈のお勤めが始まります。さて、宿になった家は、お内仏をどのように飾っているのでしょうか。
 まずは、手前の台、前卓と呼びますが、その卓に打敷(写真1枚目)と水引をかけます。打敷や水引は、そんなに特別なものではなく、正月、お盆、お彼岸、そして、亡くなられた方の祥月命日(しょうつきめいにち=亡くなられた月と日が一致した日)、むろん法事にも掛けます。
 阿弥陀様の前にも上卓(うわじょく)というものがありまして、そこにも打敷だけは掛けます。
 さて、打敷や水引をかけるということは、お内仏を晴れやかに見せることにも一役をかいますが、実は重要な意味があるのです。
 仏様の教えを受けるという姿勢です。そして、この荘厳には、仏様の教えが伝えられているのです。
 打敷の色は大抵、赤色が多いです。あとは、お内仏に合わせた黄金色ですね。対して、水引は言葉の通り水色、緑色もあります。
 さて、正式な打敷はなぜ暖色といいますか、赤系統なのでしょうか。赤は煩悩の燃えさかる火の色なのです。打敷は、その煩悩の存在を表しているのです。となると、水は消火の役割になると思いますが、少し違います。煩悩の火は完全には消せません、消さなければならないという思い、つまり信心なのです。
【火と水と申しますと、親鸞聖人の伝えられた『二河白道』のたとえもあります。この場合の二河というのは、水火の二川です。その教えでは水も火も煩悩となりますが、今回の説明は、仏教根本の教えで、深く考えると混乱をしてしまうので、別のものだと思ってください】
 火と水の教えは、まだあります。それは報恩講のお飾りとして供えるお餅、(場所によっては落雁(らくがん)のところも)です。
 お餅は、供華(くげ・供笥とも書く。写真2枚目)と呼ばれる供える台の上にのせて飾ります。お内仏にもありまして、八角形の容器です。
 お餅は、正月、お彼岸、お盆、そして、法事のときにもお供えします。 飾り方は左右一対、そのときは普通の供え方といいますか、なだらかな三角形のような杉盛です。
 報恩講のときは、それが、須弥盛(しゅみもり)と呼ばれる、飾り方になります。餅を段のように持っていき、上にはみかん(柿)をのせます。
 餅の一部分は彩色され、彩色は三本の線のような形になり、真ん中が火を表す赤色、それを挟むように上下が水を表す青(緑)色です。
 今回は準備不足でのせることができませんが、来月には写真でお見せしたいと思います。

 火と水のたとえは、実を申しますと報恩講の飾りだけではありません。皆様方のお内仏にいつも表れています。
 何でしょうか? 答えは本尊です。阿弥陀様の軸(木像の方でも、両側の親鸞聖人や名号の軸)をよく、ご覧願います。本尊が赤い枠(わく)のようなもので囲まれているでしょう。さらに、その外枠の色は青色ですね。つまり、普段のお内仏にも、この教えが入っているのです。
 仏様にお参りするときは、できるだけ、心を静かにということです。

 さて打敷の話に戻しましょう。打敷にも種類があります。たとえば人の着る衣服でしょうか。夏物、冬物・材質も、木綿(もめん)から麻、そして本絹、最上等になると錦織となります。打敷も同様です。
 ですから、打敷を夏用、冬用を含めて何種類も用意している家もあります。普段用(本当は普段は掛けてはいけない)・正月、お盆、お彼岸等の定例行事用・法事用のようにです。
 普段から良いものを掛けていたら、ほこりやすすによって、まっ黒になってしまうので、大事なものはしまっておく。ごく、当たり前の考え方です。
 さて、その打敷の模様です。普段は無地、少し上等になると紋章や草花模様、それ以上になると、鳳凰(ほうおう)や天人の刺繍が織り込まれています。ご本山(当寺も)では、報恩講になるとその天人の刺繍が入った打敷を掛けます。
 天人が出てきたのは久しぶりです。欄間のとき以来でしょうか。さて、その役割を覚えていますか。そう、煩悩を寄せ付けないということでしたね。
 水引に天人、数衣香箱(三月に説明ずみ)、法要が大きくなるにつれ、より煩悩の教えが示されます。つまり、それだけ煩悩というのはすぐ身近にある、何かスキがあれば、その燃え上がる火に巻き込まれる、ということを教えているわけです。また、そのことは、 人の心は弱いものである、仏の教えを受けるときこそ、それを、より自覚していかなければならない、ということを伝えているのではないでしょうか
 まだまだ、皆様方のお内仏には、いろいろなものがあります。来月も、おとりこしについてのお内仏の飾り方の話をしていきたいと思っております。