第二十七回 報恩講の仏具
今年も師走となりました。各地の寺院でも報恩講が厳修されております。
名古屋別院でも十三日から十八日にかけて行われ、御門首はもとより、今年は新門も御出仕(ごしゅっし)されました。
今回は、この別院と本山報恩講をもとにして、改めて荘厳について、説明させていただきます。
(御絵伝、御伝鈔についてですが、前にも弁解をいたしましたとおり、浄土真宗の教え、つまり、聖人の生き方の教えは非常に深いものですから、前回以上に詳しく説明をする自信がありません。拙僧が誤解を招かないようにきちんと解説できるまでは、ほかの方のホームページで御検索願います)
さて、御本山、別院の荘厳と申しましても、今回は表題通りの瓔珞(ようらく・写真)についてです。
「瓔珞が報恩講専用の仏具だと、何を言っているんだ」
という声が聞こえてきそうなのですが、正真正銘、金灯籠と瓔珞は報恩講期間だけに飾る仏具です。
実際、普段の御本山、別院にお参りしてもらえれば、その通りだと理解してもらえると存じます。
供華、打敷は、正月、お彼岸、お盆、寺族の法要等に飾ったり、掛けたりしますので報恩講専用の仏具ではありません。金灯籠と瓔珞だけです。
では、なぜ、ほとんどの寺院に普段から飾ってあるかと申しますと、言い訳になりますが、物理的に取り外すのが難しいからです。
江戸時代は、どこのお寺にもお役僧さんがいました。当寺も今はなき先々代住職の言葉ですと、昭和初期には寺族とは別に、三人のお役僧が在籍していたようです。
さて、この江戸時代存在した真宗寺院は、大、小とわず入母屋(いりもや)造りでした。
入母屋造りということで、本堂は背丈は高く、その頂上は、最低でも一般住宅の三階以上の高さに当たります。そのかさ分、屋根裏の容積も広く(寺によっては中央では立つこともできる)なっております。
瓔珞は、その内陣の裏天井に入って、そこから吊さなくてはなりません。また、金属片でできているので、そこそこの重さがあります。一層(仕切り盤から仕切り盤の間)三キロから五キロぐらいはあるでしょうか。それを重ねて組み立てるのです。
文章ではすらっと書いていますが、これだけの仕事、とても、お役僧なしの状況ではできません。だいたい、内陣裏天井にたどり着くこと(裏天井ですので、端の方からは登れるようになっている)自体が、暗闇内をまさぐる(江戸時代においては電気がない、ろうそくを使うときは火事を起こさないように、慎重にしなければならない)等、並大抵のことではないのです。
たどり着くことができても、そこからがまた一苦労です。瓔珞は大変壊れやすいものなので、繊細に扱わなければなりません。落としたらおしまいですので、下にも支える人物がいります。
灯籠の方も大昔でしたから、法要中には、中に本物の、火のついたろうそくを入れていました。
それらの準備には、かなりの集中力も必要となりますし、だからこそ、一年に一度の報恩講の荘厳といいますか。
その報恩講も大昔は、三日以上はかけていた寺院が大半でしたが、今では逆に大半の寺が一日だけですましていますので、とても、そこまで手が回りません。
以上のような理由で、今では、報恩講をお迎えするたびに、掛けたり外したりする一般寺院は、ごくまれになりました。
お寺が、このような状態なので、寺としても御門徒の人たちには、とても、「普段は掛けないものです」なんて言葉はいえません。
だから、御門徒様たちも、普段、つけているのが当たり前だと勘違いをしてしまったのです。
どんなことでもそうですが、物事を教えるためには、教える人物が手本とならなければなりません。
当寺は、今回の御遠忌事業の一つとして、内陣内、総金箔、漆(うるし)荘厳を決心しました。門徒様たちの九割以上が、浄土を表した形である金仏壇でお参りをしているのに、肝心なお寺が、そのようなことをしていなかったことは、教化活動にも自信が持てませんでしたし、何よりも手本になれなかったことが、申し訳なかったからです。
なお、本山には阿弥陀様を本尊とする阿弥陀堂、聖人をおまつりする御影堂(ごえいどう)と二つのお堂があり、御影堂の内陣内には柱を含め白木の部分が存在しますので、真宗寺院として白木仕様がまったく間違っているわけでは御座いません。
さようなことで、何とも格好がつかない話ですが、今は、表題の説明の方が大切ですので、そちらに戻させていただきます。
金灯籠は以前、説明をいたしましたように、本尊の前で、この世の闇を照らす。つまり、煩悩を押さえ込むために飾られております。
となると、瓔珞の役割は何でしょう。
瓔珞はサンスクリット語でムクタハーラ(muktāhāra)意味は、玉の飾りです。
装身具ですね。装身具というのは、むろん人のおしゃれに使うものなのですが、古代では魔除けとして使われていました。古代の墓に玉が埋葬されているのは、そのためです。瓔珞は、その玉たちを経文の形にして表したものです。
この経文の話は、切り子の吹き流しのときにしました。説話にも経文で魔を追い払った話があります。
お釈迦様の話では魔というのは煩悩です。つまり、この瓔珞もまた煩悩対策で、寄せ付けないために飾るということです。
連載最初に、内陣に煩悩が入り込まないように、天人のお姿が欄間に彫ってあると説明しました。
大きな法要の時に掛ける打敷と水引は、火と水で煩悩を封じ込めてる状態を表している説明をしてきました。
真宗最大の行事、報恩講では、その上にまた、厳重にして煩悩が広まらないようにしているのです。
仏の世界で煩悩が広がる、それ自体、言葉に出すのもおかしいというか、絶対にあり得ない、あるとしたら、その時点で仏の教え自体が存在しない、それぐらい大切なことですから、たとえますと、ガチガチに最重要地点を固めた、決して、おとしてはいけない最後の最後の守りという感じですね。
結局、今回も煩悩についての話になってしまいましたが、なぜ、そこまでして、煩悩を避けようとするのでしょうか、それは煩悩が、それだけ身近にあり、怖いものだからです。大晦日につく鐘も、煩悩をこの世からなくそうとする願いからあるものです。
実際、煩悩がはびこむと世が乱れます。汚職、戦争どちらも、煩悩からくる欲望が原因です。それがひどくなった結末は、推して知るべしでしょう。
瓔珞にはもう一つ仏教にはかかせないことがあります。それは瓔珞経です。正式名は『菩薩瓔珞本業経』といいます。仏にも位というのがありまして、菩薩というのは仏様の位の一つです。その菩薩の中でも序列は細かく分けられております。それらは、行をおこなうことによってあがっていくのですが、その地位が瓔珞の中の宝玉で例えられています。勲位のようなあつかいしょうか。
こんな話だと、あまり浄土真宗には関係ないとお思いですが、「瓔珞経中説漸教」という言葉が、伽陀(かだ)として観無量寿経を読むとき詠まれます。漸教というのは、知識不足で説明はできませんが、修行に関することが述べてある教えです。
よくよく考えますと、瓔珞を吊すまでの一連の行動自体、行の一つかもしれませんね。