第五十九回 お内仏の荘厳(繰出位牌三)


 九月にはお彼岸があります。そちらにつきましても、過去に説明をしているので、ご覧願います。
 前回まで繰出し位牌の外側のお話をさせていただきました。今回は中の繰出し板についてです。
 板の表には中央に法名、そして、右側に亡くなられた年、左側に月日を書きます。
 なぜ、表でしょうか。実は、本願寺だけが表に亡くなられた日にちを書きます。
 よその宗派のお位牌を見てもらうと、まずは、形が幾分細いです。そもそも、繰り出式になっておりませんが。
 それでも、年月日を表側に書こう(刻もう)とすることはできますが、本願寺の繰り出しは、かなりの余裕があります。
 さすがに実物見本までは出すことができませんが。
 さて、その理由について説明をします。正式な書物にまでは言及されていませんが、亡くなられた日は、浄土への誕生日の扱いになります。
 ここが、考えが違うことです。他の宗派は、あくまでも位牌は亡くなった人の証し。ですが、本願寺は、その家の方が浄土に生まれた誕生日になるのです。
 もともと、浄土と穢土(えど)という言葉があります。穢土という言葉を辞書で引きますと、きたない世界。煩悩に汚れた世界だと説明されています。穢という漢字は穢された(けがされた)というときに用いる漢字です。まったく、浄いと正反対ですね。
 私たち人間は、この穢された世界に生きている、だからこそ、その世界から抜けだす希望ができた。これが浄土に往生させてもらっている喜びということを表しているのです。
 さて、この年数のことすが、本願寺の九割以上の住職は元号で書かれます。しかし、やはり、元号がいやだという住職も中にはおりまして、西暦で書いてあることもあります。実際のところ、不思議に思うのですが、いるのですね。御門徒さんたちも納得しているのか、きちんとわかるように説明しているから大丈夫なのか、わかりませんが。その住職の考えによって、西暦・元号のどちらでも書いていいことになっております。
 また、昔の繰出し板だと、二十日を廿日、三十日を丗日と書かれた板も存在します。初め見た時は、あまりにも昔の板で、黒ずんでてよく読めず丗を四と読んでしまったこともありました。今では苦い思い出ですが。本当に丗と四は似てますので、古い繰出し板でしたら、四日と決めつけない方がよろしいです。

 次にメーンである法名の話に入ります。本願寺は法名が、5文字か8文字か、どちらかになります。
【法名釋〇〇】
【法名△△院釋〇〇】
 です。どちらも釋の字だけはかかせません。なぜ釋の字が頭に付くのか、それは、亡くなられた方が、お釈迦さまのもとで弟子になる、つまり、亡くなられたあとも、お釈迦様の教えを聞き続け、仏道を歩むことを願う、という意味からです。
 大昔から中国のお坊さんは、ほとんど亡くなられたときに、お釈迦さまの弟子ということで釋の字をつけていました。天台宗、禅宗のお坊さんでもです。
 そして、そのことを忠実に守っているのが、ほかならぬ本願寺です。日本も最初はそうでしたが、平安以降になりますと、お坊さんは、空海道元を代表とするように、いつのまにか、釋の字を使わなくなっていました。しかし親鸞聖人だけは古の僧侶のしきたりを守り、自分が仏弟子であることを示すために、「愚禿釋親鸞」と、釋の字を用いたのです。肉食妻帯をされ、一番、既存の僧侶からイメージが離れていると思われているのですが、聖人だけが釋の字を用いたのです。
 よその宗派は、そもそも法名という言葉は使いません。戒名(かいみょう)という、よく聞く言葉を用います。なぜ戒名かと言いますと、読んで字のごとく、戒律から来ております。ここから、下に信士・居士・大居士と呼ばれる位が付きます。子供の場合は孩男(がいなん)・嬰男(えいなん)がついている場合が多いです。孩の方が年長者で嬰の方が幼い子でしたか。この位というのは、もちろん、どれだけ仏様の為に身を捧げ、御懇志をしたかということによってかわってきます。信士から順に戒名料が高くなっていくようです。
女性の場合は、信女、大姉(だいし)・清大姉です。子供は、男が女に代わっています。
 本願寺も実は女性の法名は書き方が違います。余分に一文字が付きます。ですが、正式に申しますと文字数には入れていません。
【法名釋尼〇〇】
【法名△△院釋尼〇〇】
 この尼という文字は、実際には小さい文字です。印刷では、どうしても釋尼と尼の字が大きくなりますが。実際、文字で書くと尼の字は四分の一の大きさぐらいです。この文章では、わかりづらいですが、まず、法名というのは縦書きです。縦に法名釋とまず筆で書きます。そして、その右下に小さな文字で尼と入れるのです。そうしないと、お墓で名前を掘ったとき変なことが起きます。仮の話ですが父親より母親の方が文字数が増え、同じ感覚で彫ろうとすると母親の方が長くなってしまうのです。尼という漢字ではなく女性を表す記号表記と考えた方がいいかもしれません。

 この法名ですが、やはり、大勢の家のお位牌を見ていると、なぜか、本願寺の繰り出しの中にも、下に信士、孩女と書いてある法名を見つけます。うちの先々代や、その前の住職が書くわけないと思うのだけど、あるのですよね。でも、それは、間違いなく本願寺の法名ではありません。その他の宗派のものなのです。ですが、法名という文字の下に書いてあると悩みます。なぜか? その理由は、よその宗派はついさっき説明をしたように戒名という言葉を用います。いさぎよく戒名と書いてある下についている二文字なら納得がいきますが、法名の下だと何ともいえないです。
 なぜ法名と呼ぶかということですが、その理由は、本願寺は南無阿弥陀仏の他力本願によって救われるという教えです。つまり、戒名のもととなるような自力や戒律で救われるわけではないのです。その御仏(阿弥陀仏)の法(本願力)によって、生かさせてもらっている、つまり浄土に往生させてもらっている証しとして、法名という言葉を用いるのです。
 未だ、語りつくしていませんが、今回は、この辺で終わらせていただきます。
 今回の表紙は京都御本山の、仏門に入られるお子様たちの得道風景の写真です。