第四十三回 お内仏の荘厳(お仏供三)
お仏供のお話も三回目になりました。
まず、最初に一言申し上げておきます。今回のお話は真宗大谷派の荘厳作法に限っていないことをご承知でお読み願います。
といいますのは、仏様にお仏供を備える習慣があるのは、真宗大谷派だけでは御座いません。ほとんどの仏教の宗派が本尊にお供えをしています。
それは、ある意味当たり前のことでしょう。「明日には礼拝、夕べには感謝」という言葉は、どの宗派でも大切にしております。
今日、自分が生かさせてもらっているのは、考えてみれば不思議なことである。明日にはどうなるかわからない、今も、このように、その不思議な源である仏様にお会いができ、教えを受けることを喜び、感謝の意味を込めて合掌をいたします。このことこそが、仏様の根本的な教義ですので。
浄土真宗では、幾度も説明をしましたとおり、本尊(写真一枚目)は阿弥陀様です。わかりやすいように、お釈迦さまの姿を借りて、不思議な光である阿弥陀様を表現しております。
他の宗派も、お釈迦様の別名などを本尊として大切にしております。そして、その本尊に毎朝、お仏供、(お仏飯とも呼ぶ)を備えておられます。
さて、今回はそのお備えするお仏供の仏器の話に入りましょう。
真宗のお内仏は、こちらも何度か説明をしましたように浄土を具現する金仏壇です。お仏器も金色に輝いているものが主流となります。
その仏器ですが、やはり一番多いのは真鍮(しんちゅう)製です。真鍮というのは、銅と亜鉛の合金で黄銅(おうどう)とも呼ばれております。(写真二・三枚目)
三具足、輪灯(りんとう)など、ほとんどの仏具は真鍮製です。なぜかと申しますと、真鍮は黄金の代用になる金属なので、浄土を表すのに適しているからです。お寺の仏具も、ほとんどが真鍮製です。
ですが、この真鍮製が、在家のお内仏に、はやり始めたのは歴史的に新しいのです。
さて、その真鍮以外の材質ですが、代用になっているのは陶器製のお仏器です。
陶器でもいろいろと種類があります。白い陶器そのものに外側全体を金メッキでコーティングをしてあるのを、一番よく見かけます。
また、白い陶器の表面に金で蓮台が描写されているものも見かけます。蓮台ということで仏様の元に、というような意味なのでしょうか。真宗の荘厳形式ではないので、このような感想しか述べることができませんが。
話は少し戻りますが、真鍮の方も、蓮台が表面全体に彫り込まれている仏器をよく見かけます。当然、コストもかかっていると思うのですが、使っている方も多いので写真に載せておきました。
あとは、白い陶器に金色の線が一本、円周上に描写しているものも存在します。
ここで、注意をしてほしいのは、まったく模様の無い真っ白の陶器です。これを、お内仏に用いることはやめましょう。
金の線すら入っていない、模様の無い真っ白の陶器は一般の仏壇屋には売っておりません。別のところから手に入るものです。
どこからかといいますと、その家が葬式を出したときです。葬儀屋が白い花瓶、燭台、香炉と一緒に持ってきます。そして、それらをの野卓(のじょく)の上にかざります。
野卓というのは、人が亡くなられたときに、忌明けまで用意する祭壇です。野卓は風習的なものですので、台の上に何を供えても、お寺は文句をいいません。
対してお内仏は仏様の世界です。お供え台ではなく、お内仏内に俗世の異物(缶ビールや写真)などを置くことは、きちんとした寺でしたら、間違いなく注意をされるでしょう。
また、ごくたまに、真っ白陶器の三具足や仏器を、葬儀屋に引き取ってもらわずに、そのまま、使おうとされる人もいますので、そのときは私も指導をさせていただきます。思惑があるのか、忌明けまでの中陰中専用と説明をしてもピンとこないらしく、死に装束のたぐい、死を象徴する、とかまで言えば、びっくりして使用をやめますが、教義的にはあまり喜ばしいことではありません。
さて、陶器の話に戻ります。先ほど軽くふれたように、一昔前は陶器の仏器の方が多かったようです。
財政面のこともありますが、何より安心感でしょうか。私たちは、ご飯を陶器の茶碗でいただきます。ということで、陶器に、ご飯を盛ることには抵抗感はありません。
もう一つの理由は、仏器自体の安全面です。「陶器こそ落としたら割れるから、危ないじゃないか!」という意見もあると思うのですが、別の面からです。
真鍮には金の本当の代用にはなれない大きな欠点があります。それは酸化、つまり錆びるということです。
ほかほかの湯気が立ったご飯は水分を含みます。酸化反応は、その水分によって起きます。
ご飯に接触した金属面は、当然のごとく酸化します。銅は酸化すると緑青を生みます。緑青は毒ですので、気をつけなければなりません。
では、お寺はどうしているのでしょう? さすがに、お寺は手本にならなければなりませんので、お仏供を備えたあとは、きちんと手入れをします。
それとは別に、お仏供と仏器台の間に円形の木の板かコルク板を真ん中にはさみます。そのことによって、ご飯が金属と、じかに接触することを避けることができます。
ですが、在家のお仏供は板を挟んでも、湯気で、すぐに割れてしまいます。直径十センチ、厚さ二センチの板なら湯気程度では割れませんが、五センチ以下五ミリ程度の板なら、残念ながら持たないのですね。しょっちゅう交換ということになります。そのようなことで、真鍮より、陶器の仏器が用いられたということでしょう。
しかし、近年になって事情が変わってきました。写真のように、人体に害のない、クロームメッキやステンレス材を使った「落とし」と呼ばれる受け具を入れるようになったからです。この錆びない特殊金属を入れることによって、安全にお仏供を備えることができるようになったのです。これも科学の力ですね。
科学といえば、最近は割れないように、セラミックに金コーティングがしてある仏器も存在しているようです。
ここで誤解のないように、申し添えておきます。真鍮製品は日本の伝統工芸品の一つで、とても、すばらしいものです。きちんと、まめに、におみがき(手入れ)をしていれば、いつも燦然と光り輝いています。
お経にはお浄土は金色の世界として表現されております。おみがきも、お給仕の一つです、定期的におみがきをしましょう。