第三十四回 お内仏の荘厳(脇掛)

 だんだんと夏らしい天候になってきました。仏教行事の一つお盆の季節です。お盆につきましては二年前に説明をしていますので、そちらをご覧下さい。

 さて、前回は中尊軸について説明をさせていただきました。今回は表題通り脇掛(わきがけ)です。
 当宗派には二通りありまして、その説明に、まずは二種類の写真を用意しました。

 最初の写真は宮殿造りです。宮殿造りというのは、何度も説明をしましたように、小型化した宮殿を、中心においたような様式となっております。それが、寺の本堂を模したということで、御堂造りと呼んでいるところもあります。
 柱の数は十八本なのですが、宮殿部分の十本は、漆(うるし)金具仕様に対して、脇掛の八本は、宮殿を浮きだたせるように、金箔押し金具仕様というのが特徴です。
 脇掛ですが、両方が文字仕様となっております。右脇が十字名号である『帰命尽十方無碍光如来』(きみょうじんじっぽうむげこうにょらい)、左脇が九字名号である『南無不可思議光如来』(なむふかしぎこうにょらい)です。名号につきましては以前に説明をしましたので、そちらをご覧願います。

 二枚目の写真は宮殿御坊造です。こちらも十八本柱の、お内仏ですが、違いがわかるかと思います。御堂造りは、両尊があっさりしているのに対して、宮殿御坊作りは両尊も屋根仕様になっています。また、十八本すべての柱が漆、金具仕様です。
 注意深く見ないとわかりませんが、こった物になりますと右側の脇掛場所に金の扉のようなものがあります。
 こちらの脇掛は、人物像が描かれております。右脇が宗祖である親鸞聖人、左脇が蓮如上人です。親鸞聖人の方は、扉がついているということで厨子にはいっていることをあらわしています。

 以上のように、名号とお姿像の二通りに分類されます。
 ですが、両方の飾りの折中された形のをも存在します。
 右脇が親鸞聖人なのですが、左脇は『南無不可思議光如来』の九字名号、または、こちらの方が多いのですが『南無阿弥陀仏』の六字名号です。
 ただし、そのような飾りのお内仏は、ほとんどが、第二次世界大戦前に製造されたもの(三尊は残して、お内仏だけ買い換えた家もありますが)です。何代も続いておられる家ですね。
 実は、脇掛にも歴史があるのです。
 江戸時代までは、お内仏の両尊はそれぞれ、左脇が九字名号、右脇が十字名号と決まっていました。
 明治に入って、時の天皇陛下から親鸞聖人が見真大師(けんしんだいし)、蓮如上人が慧燈大師(えとうだいし)という大師号をいただくことになりました。
 そこで、御本山もお寺に賜る軸に、見真大師、慧燈大師の大師号を入れたのです。
 そのときに、在家のお内仏にも、お姿軸をかけることが許されることになったのですが、見真大師の方しか、普及しませんでした。
 ですから、左脇が九字名号、右脇が見真大師と書かれた軸が脇掛になっている家が存在するのです。
 六字名号の方は、そのとき、はやったのですかね。ですが、御本山からは、六字名号の正式な軸は出しておりませんので、理由はわかりませんが、いずれ、詳しい方に聞いてみようかと思います。

 このようなことを書くと混乱される方がでてきますので、なるべくなら書かずにおきたいのですが、重要なことですので、あえて述べさせていただきます。
 実は当宗派では、中尊の右脇が親鸞聖人だとしても、左脇は蓮如上人とは決まっていないのです。
 本堂の内陣では、以前も説明しましたように、真ん中を中尊前、右脇壇を祖師前(そしぜん)、左脇壇を御代前(ごだいぜん)と呼んでおります。
 祖師前は言葉通り、宗祖である親鸞聖人を指します。御代前は歴代の上人(本願寺住職)を指します。
 特に一昔前までは、一代前の上人(御門首)のお姿の軸を、かけているお寺が、いくつか存在しました。
 当時は、本山の法主(ほっす)には絶対的な権力があり、現人神(あらひとがみ)のように生き仏として、あがめられていたと聞きます。
 名古屋別院も現在は蓮如上人ですが、二十年ぐらい前までは、一代前の御門首の軸をかけておりました。

 蓮如上人が左脇と決まっていないのには、もう一つ理由があります。何度も説明をしましたように、京都の御本山には、阿弥陀堂(あみだどう)、御影堂(ごえいどう)の二つのお堂が存在します。
 阿弥陀堂は中尊が阿弥陀如来、御影堂は、その中央が親鸞聖人像なのですが、では右脇と左脇は、いかようになっているのでしょうか。
 実は左脇が先代の御門首というところまでは同じなのですが、右脇の方が蓮如上人となっているのです。
 ですから、一般寺院、別院は、中尊の左脇に、一代前の御門首、蓮如上人の軸のどちらをかけてもいいことになっているのです。
 お寺が、このような形ですので、特に法主の力が強かった時代には、寺としても左脇に蓮如上人軸だとは、門徒の人たちに指導ができなかったのでしょう。
 ですが、今でははっきりと決められております。
 写真のように。右脇が親鸞聖人のときは、左脇は蓮如上人、右脇が『帰命尽十方無碍光如来』のときは、左脇は『南無不可思議光如来』の形となっております。

 とは申しましても先祖からの大切な軸ですので、今更、変えられる必要はないでしょう。『南無阿弥陀仏』の六字名号はもとより、四軸とも、とても重要なものです。
 親鸞聖人は『正信偈』などの書物で、蓮如上人は『御文』で南無阿弥陀仏について説かれました。
 十字名号も九字名号も、過去の七高僧、天親菩薩(てんじんぼさつ)と曇鸞大師(どんらんだいし)が無碍な光、不思議な光と、解き明かしてくれた阿弥陀様のことです。
 お内仏にお参りすることは、前回も書きましたが、阿弥陀様の教えを受けることです。
 脇掛というのは、少し語弊をまねく表現になりますが、本尊の阿弥陀様の教えを聞くための、わかりやすい方便アイテムのようなものだと感じております。