第三十七回 お内仏の荘厳(御聖人一)


 報恩講の時節になりました。当寺は、十一月四日、五日の両日、おつとめをさせていただきますので、ご縁のある方は、お参りください。

 さて、ここ半年ぐらい前から、お内仏の荘厳について、説明をさせてもらっております。
 前回の言葉通り、十一月ですので、親鸞聖人のお話に入らせていただこうと思っています。
 とは言いましても、お内仏の説明中ですので、皆様のお内仏の聖人についてですが。

 親鸞聖人はご存じの通り、浄土真宗を開かれた方で御開山(ごかいさん)と呼ばれております。
 よって、特別な仕様の形式になっている、お内仏が存在します。厨子調といいますか、扉がついていて、開け閉めできるようになっています。
(来月には、門徒さんに頼んで、厨子が閉まっている写真を掲載する予定です)
 ですが、あくまでも地元の型ですので、本山、お膝元の京仏壇には、そのような仕様は御座いません。
 理由は、前にも軽く述べたと思いますが、お東の両脇掛は『九字十字名号』が主流ということで、お姿像は、その方便という扱いだからです。
 とは申しましても、本山からは今でも、写真のように出しておりますので、正式な脇掛となっております。

 御本山から受ける聖人像(蓮如上人も)軸には、特徴があります。外枠が紺色で、内枠が金色になっていることがわかります。
 軸には読み方がありまして、外枠を外回し、内枠を中(ちゅう)廻し、中身を本紙とよんでいます。
 外回しを見て下さい、紺地に八藤紋(はっとうもん)が入っています。大谷家の紋章です。

 実は、本尊、阿弥陀様の絵像の外回しにも、八藤紋は入っております。そのように、本山からの三尊はすべて、紺地の外回しには八藤紋が入っております。
 本尊の阿弥陀様、名号につきましては、中廻しの方にも八藤紋が入っております。
 ですが、お寺は、そのことについては文句は言いません。(言う人が絶対に、いないとも言い切れませんが)
 やはり、すべてはご縁の問題です。今更、ご縁によって、お内仏に飾られることになったものを、無理矢理に交換することはないと。ほかにも、思惑があるかもしれませんが、きれいな解釈です。
 さて、なぜ今まで、阿弥陀様にも八藤紋がついていることを説明をしなかったかといいますと、前回までの説明は、あくまでも、お釈迦様の教義にもとずくもの、八藤紋は、真宗大谷派を表す形式なものですので、こちらはこちらで、また、重要なことなのですが。

 ここで、その親鸞聖人像に戻らせていただきます。聖人姿のお脇軸は、ご覧のように二種類御座います。
 一幅目(写真上)が現在で、二幅目(写真下)が昔に出していたものです。
 両軸とも、先ほど、説明をしましたとおり、中廻しは金色仕様です。本尊と同色の赤色の中廻しを、よく見かけることはありますが、うーん、コメントは控えさせていただきます。

 現在の、お脇掛は2001年から発行されました。
 聖人像の上に、四行の語句が記されております。見づらいですけど、以下のような句です。

観仏本願力 遇無空過者 能令速満足 功徳大宝海

 「不虚作住持功徳成就(ふこさじゅうじくどくじょうじゅ)」の讃と呼ばれています。
 出典は七高僧の一人、天親(てんじん)菩薩の『浄土論』です。天親菩薩は、この『浄土論』で「二十九種荘厳」を説きました。二十九種の中にも三種に分かれており、それぞれ、国土荘厳・仏荘厳・菩薩荘厳と呼ばれております。
 二十九種の荘厳はすべて、功徳が語尾についており、「不虚作住持功徳」は仏荘厳の八番目にあたります。
 このコーナーの題名、「功徳荘厳」というのは、このように、浄土というものの根拠を説明している。とても、崇高で重い言葉なのです。

 さて、この讃ですが、聖人は自著『教行信証』で次のように述べられております。
 『浄土論』(論註)に曰わく、「「何者か荘厳不虚作住持功徳成就。偈に「仏本願力を観ずるに、遇うて空しく過ぐる者無し。能く速やかに功徳の大宝海を満足せしむるが故に」と言えり。」(論)
 と、この茶色の文字の部分が、聖人の書き下したお言葉です。
 聖人は、この「荘厳不虚作住持功徳成就」から、以下のような和讃をつくられました。

本願力にあひぬれば
むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて
煩悩の濁水へだてなし 高僧和讃  天親
 声を出して、読んでみてください。真宗門徒でしたら、どこかで聞いたことがないでしょうか。
 実は、この和讃、お葬式のときに、僧侶がお勤めの一部として詠んでいるのです。

 「不虚作住持功徳成就」の意味は、拙僧では、とても理解ができるようには説明ができません。一応、ネットの解説には、「仏の虚妄でない働きによって安住し、成立しているすぐれた性質や働きが、阿弥陀如来の本願力によって成就すること」となっておりますが。
 ですが、本山が本願寺と名付けられたのは。この本願力という言葉がもとですし、絵像に使われるぐらい、重要だという雰囲気だけは感じ取ってください。

 ででは、次に二幅目の軸を見ていきます。こちらは語句がありません。
 で人物名をよく見て下さい。親鸞聖人ではありませんよね。「見真大師」と記されております。読み方は、「けんしんだいし」です。
 でもしかしたら、今、指摘をされるまで、気づかなかった方もいらっしゃるかもしれません。

 ここからの話は、次回に伸ばさせていただきます。
 11月21日から28日にかけて、京都御本山では報恩講が厳修されます。法要が行われる御影堂の中央には、『見真』という額がかかっておりますので、参拝の機会がありましたらご覧願います。
 次回のテーマですので。