第六十回 お内仏の荘厳(繰出位牌四)

今回は法名、そのものについての話となります。
まずは、この法名につきまして、皆様方が、どこまで理解をしているか確認させていただこうと存じます。
法名は本来は「帰敬式(ききょうしき)」によって付けられるものです。つまり、「帰敬式」以外の法名は正式ではないということになります。
今回は、この帰敬式につきましてパンフレットを表紙写真とさせていただきました。
一番上に書いてありますね、大切なお言葉が、
「帰敬式は、「おかみそり」とも言われ、「仏」「法」「僧」の三宝に帰依し、宗祖親鸞聖人が明らかにされた「教え」に自らの人生を問いたずね、真宗門徒として新たな人生を歩み出すことを誓う大切な儀式です」
よく読んでいるといろんな質問が出ていますね。
法名は亡くなった時にいただくものではないのですか?
帰敬式の受式は「仏法を弔問し、仏法に聞く生活の始まり」です。ぜひとも生前に受式ください。
そうです、法名は本来なら生前に受けるものなのです。しかし、今の事情では、圧倒的に死後に受けることが多くなっております。ですけど、帰敬式を受けるということは自分が仏様の弟子になることです。この世に生がある状態で仏弟子となる。本来の姿です。
帰敬式はどこで受式できますか?
帰敬式は、真宗本廟(東本願寺)または全国の別院及びお手次ぎのお寺にて受式できます。
法名はどのようにつけていただくのですか?
「法名」には、真宗本廟(東本願寺)で選定された法名(本山選定法名)とお手次ぎのお寺の住職につけていただく法名(住職選定法名)があります。
こちらのふたつの質問はまとめて答えさせていただきます。どのような事かと説明してあるかといいますと、 京都の御本山でも、お手次ぎの住職のどちらかだったら、いいということです。
このお手次ぎという言葉は、本来なら代々、その家の法要をつかさどるという意味なのですが、今では、広い解釈を持っています。たまたま、ご縁ができた真宗の僧侶につけてもらえば間違ってはいないということです。
ですが、現在では、生前に「帰敬式」を受ける方は非常に少なくなっております。その様な時代だからこそ、本山は帰敬式を、今まで以上に深く広めたい気持ちがあるのでしょう。
今では葬儀会館で葬儀をされる方が非常に多くなりました。よって、受式される場所は、ほとんどが葬儀会館となってしまいました。
こちらも、一応は京都の御本山に尋ねたことがあるのですが、「御本尊の阿弥陀さまが本山から受けたものでしたら受式したことになる」というお答えでした。果たして、どれぐらいの葬儀屋が、京都御本山から受けた阿彌陀様を用意していらっしゃるのでしょうか。
かようなことを心配されてるのか、生真面目な僧侶は自分から、いつも三つ折り本尊を葬儀屋に持ってきて、それを中央に安置して「帰敬式」を行っているようです。
彼らに言わせてみると、葬儀屋を、まったくもって信用していないということです。 それも仕方ないことはあるでしょう。僧侶と葬儀屋は立場が地域によって変わってくるからです。
真宗の教えがきちんと広まってる地方のお寺からの目線ですと、今の葬儀屋はなってないということです。
例えば、具体例をあげますと、ある一家が葬式を葬儀屋に頼んだとします。ですが、その一家は自分のところが「本願寺」ということしかわからなくて困ってしまいます。葬儀屋は、このときのために派遣の僧侶、または専属契約の僧侶を持っています。
ここまでは問題はありませんが、これをやりすぎる葬儀屋がありまして、きちんと、そこの家が、田舎のお寺といまだにつながりがあるのか確認をせずに、強引に、自分たちの契約している僧侶を押し付けて葬儀をされるところもあるのです。もし、お墓なんかが、元のお寺にありましたら、とても大きなトラブルになります。しかし、このようなタイプの葬儀屋は、一昔前の葬儀屋と違って、ただ、葬式さえしてしまえば、もう関係はおしまいという契約のところもあります。その後に、この一家がお墓のある寺院と、どんなトラブルになろうが、まったく関係ありません。無責任はなはだしいということですか。
真宗の僧侶が担当になってくれれば、それでも法名という形になりますが、これが、もっといい加減な葬儀屋だと、別の空いている、まったく、よその宗派の派遣僧侶を回してくることも出てくるのです。となると、法名ではなく戒名ですね。
まだ、それでもましな方です。世の中には、本当に、とんでもない葬儀屋がありまして、信じられないことに、社員に僧侶の衣体を着せて葬式を行うところもあるようです。そこで、ついた漢字二文字は、まったく、法名に値しないものです。
とにかく、戒名をつけられたり、正式な僧侶でない葬式をされたことがわかりましたら、すぐに、御本山に駆けこんで「帰敬式」をうけてください。受けられたら、法名を授かったことになりますから。
この事象は僧籍がないものが、勝手に二文字をつけるという行動ですね。僧籍がないものが二文字をつけるというと、変な感じに思われますが、別に変なことではありません。うちの門徒にもいます。「ありがたい法名を思いついたから、それを自分の法名にしてもいいか」と、むろん、喜んで承認いたします。その方は生前に法名をつけようと思われたかたですから、きちんとしておられる方です。認めるときに一言いいます。あなたの場合は、お手次ぎの僧侶が法名をつけた扱いにはなりませんので、必ず御本山で「帰敬式」を受けてくださいと。
前回も似たような話になりましたが、本当に知らない人が増えてきました。だから、葬儀の時、構えてしまって、向こうから、「うちは法名なんてつけなくてもいいから、葬式をやって」と、本人はおかしなことを言ってないつもりでも、じゅうぶん、おかしいことを言ってきているのが今の世の中です。
葬式の話が、今回は大きく場を占めましたが、実際の葬式を、よく観察してみるとわかります。真宗の僧侶が、本物の、かみそりを、かかげ、亡くなられた方に、おかみそり(剃髪)の儀式をしておりますので。それでは、また来月。来月は報恩講の話になります。

