親鸞その3 R2 6.15

親鸞の教えの中心は、やっぱり歎異抄第3章にある。
「善人なおもて往生をとぐ。言わんや悪人をや」
の言葉で示された「悪人正機」の教えではないでしょうか。

 宗教の本質は洋の東西を問わず「汝自身を知れ」に尽きると思う。ギリシャ神殿の扉にも、この文字が刻まれていると聞いています。

 真宗では、汝自身、即ち私自身に根深く働く、不純にして汚れた心(煩悩)に気付けと言う意味でしょう。煩悩とは、欲多く、腹立ち、そねみ、ねたみに満ちた心であって、それがいつも私自身からふき出して他人を傷つける。止めようにも止められない根の深い存在です。その煩悩に生きる「悪人」が実像であります。そのことは頭では理解していても、実生活には生かされません。なぜならば、自己の眼は外を向いていますので、他人の煩悩にはよくよく気付きますが、真に自己の煩悩に気付くことは不可能であります。(その眼を自己に向けなければ真に気付けません)しかし、その眼を内に向ける唯一の行動が仏縁に会うことでしょう。即ち亡き人を仏縁として、仏壇の前で合掌して「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えることです。なぁーんだ!と思うかも知れませんが、実践してみませんか。私は、悪人と頭では理解しているつもりでも、「お前程悪い奴はいないぞ」と人から言われますと、内心不快に思うのは、心の底では自分は善人だと思っているからでしょう。その度に念仏を唱えることによって“やっぱりなぁ”と善人ぶりたい自己に気付いていくのではないでしょうか。
 実に私達は、悪人にして悪人の自覚がないと気付けば、楽になり感謝の心も自然とわいてくると思います。

蓮徳寺
前住職 釋時中