親鸞その1 R2 4.15

 無人島に1冊もってゆくなら、「歎異抄」と書かれた出版物を見た。これは、作家の司馬遼太郎が残した言葉と云われている。

 「歎異抄」は、浄土真宗の開祖親鸞の語録で親鸞没後、信徒の間で種々の自分勝手な異説が起こったので、弟子の唯円が、親鸞の法話を、そのまま記して、異議を批判したものです。

 この親鸞の語録が、無人島で絶望した孤独地獄の苦しみに真に耐え得る唯一の言葉として評価されています。すごい人ではありませんか。簡単にその略歴を記します。

 1173年~1262年。日野有範の子。
 8才で父母と死別し、9才で剃髪して、比叡山延暦寺で天台宗を29才まで修める。その後、法然聖人の門に入り、1207年の法難で、師の法然と共に罪に問われ、越後(新潟)に流罪となります。後に許されてから、関東の常陸(茨城県)で20年余り生活され、晩年帰京して、京都で90才の生涯を閉じられました。

 特記すべきことは、鎌倉時代に90才まで御長命であられ、しかも80才を過ぎてから、仏教の教えを歌にし(和讃と云います)人々に布教されたことです。
 人生を完全燃焼で生きられた方と云えましょう。
 人生百年時代を迎える現代社会に、実に大きな教訓を与えておられます。充実した老後の人生を送られた手本として、その生き方を学びたいものであります。

蓮徳寺
前住職 釋時中