ぜひ、仏法の聴聞を・・  R3 3.20

 お彼岸となりました。春季永代経も勤まります。
 彼岸という名は、仏教の原語ではパーラミタ、「到彼岸」と訳すそうです。此の岸から彼の岸にわたるということです。
 信なきものが、法を聞いて、信心の彼の岸へ到る。迷いの生死の世界から、さとりの彼の岸に到るということで、人間生活のまことの意義をしめすものです。
 善導大師の『観経疏』に「念仏して西方往生の願行をなすは春秋の二節を取る」というお言葉もあるそうで、特に仏法聴聞にはげむ時節としたことは意義あることです。(御内仏のお給仕と心得~東本願寺~)
 お彼岸を節として、春と秋の永代経が勤まります。亡くなられた仏様をご縁に、ぜひ住職の仏法に耳を傾けていただき、自己をみつめる機会にしていきたく思います。

 本年も残念ながらワクチン接種が始まったとはいえ、まだまだコロナ禍にあり、当寺の春季永代経も、内勤めのお勤めだけの法要になり、説教師の御法話を賜ることができません。以下、当寺の前住職のお言葉があります。ぜひ、耳を傾けていただき、自己をみつめるお時間をお持ちいただけますことを、願っています。

 仏教では、一般には「諸行無常」を説いています。全ての現象は変化してやまないと云うことでしょう。
 しかし、自分のことは棚に上がっていますので、一般的には「世の中は色々と移り変わっていくなぁ」「あの人は亡くなるのが早かったなぁ」と理解して終わります。
 自分の眼(まなこ)は外を向いていますので、他人のことは諸行無常と理解出来ても、自分のことは、わからないのが当り前であります。しかし、身近な人が亡くなりますと、その仏縁として、仏壇の前で念仏し合掌しますと、はじめて眼(まなこ)が回って自分の心に向かうのであります。(住職からの法話もあります)
 そこで、はじめて自己の悪(煩悩)に気付くことが出来ます。「人の悪はとがめるが自分の悪には気がつかない(法話カレンダ-)」という世界から自分の悪に気付く世界にはじめて触れることが出来ます。
 そこにこそ、はじめて亡くなった方への真の供養になると思います。
 「幸せとは、自己の悪に気付くこと」をモットーとして、生きていきたいものであります。
釋時中

蓮徳寺