報恩講 H30 11.4-5

今年も無事に報恩講を勤めることができました。

「報恩講」とは?と、疑問に思ってみえる方も多いかもしれません。「報恩講」とは、その名の通り「恩」に報いる講ではないかと思います。
人間だれしも、沢山のご恩に恵まれながら、生かされているのではないでしょうか。家族の恩、友人の恩、私で言えば、沢山の方々に助けられ生きていますが、これ全て、皆さまの御恩です。それに対して報いる、それにふさわしいお返しをする、それにふさわしい行為をして返す、講(集い)。それが報恩講だと思われます。「講」とは、説いて明らかにする、解き明かす、と辞書にありますが・・

今年もまた一年、生かされていることに感謝して、この日を迎えるのだと思います。

ただ、この「感謝」の気持ち、今の生活に満足できていれば、喜んで感謝をしますが、もし病苦や経済苦など、生活が崩れれば、一変に、感謝が恨みへと変わってしまいます。そんな人間を考えてみる日、それだけでもいいと思います。今一度、「報恩講」さまの意義を見つめて、お参りいただきたいと思います。

ただ、真宗で言いますと、親鸞聖人から教えられるのは、このような感謝ではなく「報謝」であるといわれます。(名古屋別院、報恩講リーフレットより)「報謝」とは、お念仏の教えに遇い得た感動であり、その感動において、私の生命を投げ出してでも、報いていかずにはおれない生活をいただくこと、とあります。

とにもかくにも、この日を機会に、一緒にお勤めをし、仏法を聴聞し、立ち止まって、自分を見つめ直したいものです。

合掌

 

祖父江師の法話は、「声が綺麗で、はきはきとして聞き取り易い!」「用語の意味が解り易くて良い!」と好評でした。午後には、節団説法があり、お題は「法難」。親鸞聖人が越後に流されたいきさつについて説かれ、その背景が頭に浮かぶようでした。来年がまた、楽しみです。

当寺で、昔から続くお斉(おとき)は、美味しいと評判でございます。今年も、沢山のふろふき大根の調理にも、女人講さま方々が大活躍です。