謹賀新年 H31 1.1

本年も、宜しくお願い申しあげます。

親鸞聖人750回忌を来年秋に控え、身を引き締めなければいけない年明けとなりました。お檀家さま皆様には、住職のご希望に沿い、本堂の修復・法要に関わる、多大なご寄付を昨年度より賜っていますことを、先ずもって、お礼申し上げる次第です。誠に有難うございます。

本年は、お待ち受け行事として、
親鸞聖人 瀬辺七門徒日帰り研修
本山の報恩講お参り(板東曲見学)等を予定しています。
是非、ご参加ください。

蓮徳寺としましては、前々坊守がいない新年を迎えるのは、寂しく残念ながらも、前を向いて前進していくしかない、厳しい状況をわきまえ、精進して参る所存です。

また、住職の嫁が、前坊守に代わって勤めさせていただいていることに、頭が下がるのみでございます。

私事で申し訳ありませんが、お寺を守っていく仕事の中で、一番難しいのが、立華であります。仏さまにお花を備える・・・その時、供えるではなく、備品の備の字を用いるそうです。そこには、お花のすがたをとおして仏さまから私たちに法が説かれている、という意味があると云われます。

蓮徳寺の掲示板に、今年最初の言葉として、
~あなたは あなたであればいい~
と記させていただきました。
「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」
(仏説阿弥陀経 一部より抜粋)
青色の花は 青の花
黄色の花は 黄の花
赤色の花は 赤の花
白色の花は 白の花
それぞれの光(いのち)を表現していく

勿論、私自身の励みの言葉としても頂戴した次第です。

説法といいますと、「仏さまの姿もまた説法である」と教えられています。(ここからは、東本願寺出版の法話集からの引用ですが)そういう関心をもってお花を見ますと、花は、どの花も、別の花と自分とを見比べて、自分の方が優れていると威張ったり、なんてみすぼらしいと落ち込んだりすることなく、赤い花は赤い花として、白い花は白い花として、自らのいのちを表現しています。お花の姿をとおして、「比べることを越えたいのち」ということを聞きいただけるのではないでしょうか。

また花は、どんな状況のところに生きる縁がむすばれても、そこで精一杯のいのちを表現していきます。途中で折れても、かじかんでも、あるいは結局咲くことができなかったとしても、精一杯のいのちを表現していきます。「こここそ私の生きる場所」、と精一杯生きる、そういう法が説かれているのではないか、と書かれています。

人間にとって「ここ」とは固定的な場所ではなく、自らのあるがままの姿が「ここ」です。年をとれば年をとった、それがここだそうです。病気になれば病気になった、それがここだそうです。「ここ」以外に私の生きるところはありません。

皆様さまにとって、良き一年になりますこと、深くお祈り申し上げ、新年の挨拶とさせていただきます。

蓮徳寺
坊守 Chisa O.