秋季永代経 H30 9.22

秋うららかな、晴天の日となりました。
今年の永代経さまには、何人の方がお見えになってくださることかと、毎年のことながら少々不安に思い、今年もこの日を迎えました。
秋から冬にかけて、昔で言えば、農家の方々が、稲刈りシーズンを終え、今年の実りの収穫にほっと一息付き、落ち着く頃から、お寺の法話の時期を迎えます。
本年の秋の永代経さま、荒山信師の法話は、兼ねてから、お寺の管理人が思っておりました、「一体、お寺ってどんなところ?」という疑問を、そっと伝えてくれた法話だったと思います。
一概に「お寺」と言いましても、多々ある宗派のなかで、蓮徳寺の「東本願寺 真宗大谷派」は、念仏を唱え、「聞法の場」であることを、確かに改めて思い正し、教えて下さるお話でした。
人生、良いことも悪いこともある。
喜びもあれば、悲しみもある。
喜びをご縁として、また悲しみをご縁として、自分は何の為に生まれてきたのか、確かめさせて頂く、親鸞聖人の前で、阿弥陀様(お釈迦様)の声を聞かせて頂く場である。忙しい忙しいと過ごす日暮らしの中で、一度立ち止まって、足もとを点検する場であると、いつもの決まり文句から始まりましたが、四苦八苦する毎日の私には、なるほどそうだなあ、と新鮮に聞こえる、法話の始まりでした。
お話の全般は、京都の東本願寺に、45年前から掲げられている、「生まれた意味と生きる喜びを見つけよう」、其れを紐解くお話だったと思います。
「過去・現在・未来」を、どう受け止めていくかを、親鸞聖人の教えに基づき、仏様に代わってお伝え頂いたのでしょうが、私、なんせ疲れで眠りながら聞いておりまして、残念ながら、今回は私の口からは、皆さまにお届けすることができない始末です。
ただ、眠りながら耳に入り残った言葉を残させて頂きますと、
生まれてきて良かった、ここにこう生まれて良かった、この人に出会えて良かった、喜び悲しみを共にしながらも、生きてきて良かった、私が私であって良かったと…
また、荒山先生の、明治時代に生まれ、38年前に亡くなられた祖父の言葉、後味のいい人生にしたい、どうしたら、後味のいい人生にできるのか…
そんな言葉が、夢の中で、頭の片隅に残っている次第です。
お参り頂いた方々、有難うございました。
お参り頂かなかった方も、次回は是非、ご自身の耳で、何か、心に残る言葉を、頂戴していって下さいますと、有り難く思います。
合掌

追伸
10月6日 荒山信師の父、荒山修師が亡くなられました。
この場を借りて、お悔やみ申しあげます。