お盆~歓喜会~  R2 8.20

 今年は大変な猛暑のなか、お盆も過ぎていきました。
 本年は、本堂内陣の天井(仏様の頭上 写真右上)が、漆塗り・金箔張り・金具の取付けにより、大変見事に立派に生まれ変わり、初盆会も無事、行うことができました。

 また、毎年、お墓参りで、お寄りいただく方々との会話のなかで、「これで、神や仏が何もしてくれない事がよくわかった、お寺も、これからの在り方を考えなきゃいかんぞ」の、お厳しいお言葉が、印象的でした。

 さてお盆とは...(以下、東本願寺出版、お盆、小冊子の文章をそのまま引用させていただきます。)”仏説盂蘭盆経”(ぶつせつうらぼんきょう)に拠ります。お釈迦様が、祇園精舎に居られた時のこと、お弟子さんの中で神通力(じんずうりき)第一といわれる目連尊者が、亡きお母さんを案じて、得意の神通力で探したところ、なんと餓鬼道で苦しんでいることがわかりました。お母さんを救う手立てをお釈迦様にお尋ねすると、徳を積んだ僧侶に布施することを教えられ、そのとおりにすると、お母さんは、救われたというのです。これがお盆という行事の由来とされています。踊り上がって喜ばれた目連尊者のお姿から、盆踊りは始まったとも言われています。
 また、お盆はいつから始まり、いつ終わるのか。京都の五山の送り火がありますから、終わるのは16日と思われますが、さて始まるのはいつでしょう。真っ先に思い浮かぶのが六道参りです。京都の人のなかには、7日になると、「六道さん」の名で親しまれる東山の珍皇寺へお参りに行かれます。ご先祖が、六道の中のいずれに沈んでおられてもお連れするためです。ですから、お盆は7日から始まるというのが京都の人々の感覚でしょう。
 では、浄土真宗の門徒は、どのようにお盆をうけとめればよいのでしょう。先ほど、六道に沈んでおられるご先祖、という表現がありました。
 六道とは、人間が陥る六つの迷いの世界をいいます。日々の私たちの生活は(人道)、苦しみのあまり、このまま死んでしまえばどれほど楽になれるかと思うこともあれば(地獄道)、あれも欲しいこれも欲しい、欲しいものが手に入っても満足できない、欲にはきりがありません(餓鬼道)。常に誰かに依存しながら、なんとなく生きており(畜生道)、一つ違えば、誰かれなしに喧嘩を吹っ掛けることは、日常茶飯事です(修羅道)。時には、自分は成功者だとほくそ笑み、自己満足に浸ることもあります(天道~浮世離れ~)。こうしてみれば、六道に沈んでいるのは間違いなく私たちです。このような私たちを、仏さまとなられたご先祖が極楽浄土へと導いてくださっている、そういうご先祖にお会いするのがお盆です。
 さて私も、中学時代に亡くした生みの母親に会いたく、お盆の最中、足取りが止まると直ぐに、実家のお墓参りに、子供と出かけました。実家のお寺の山門には、提灯が掛けられています。”お盆 歓喜会”~亡くなられた人(母)に会えて喜ぶ集い~大変嬉しいひとときです。

 文の書き出しに戻りますが、寺離れが激しい昨今、墓守も難しい世代の時代となりました。大変、残念なことですが、盆踊りと同様、ご先祖に会える歓喜会も、楽しみにして、また大切にして、時代を引き継いでいっていただきたいと思います。
 お寺もまた、皆さまの期待に添えられる生活のなかで、心地よい集いの場を築けていけたら良いのになあと、思いを馳せる坊守でございます。

 最後に、贈り物が届きました。コロナでオリンピックと共に、親鸞聖人七百五十回御遠忌法要・お稚児練り歩きが、延期となっておりますが、東京オリンピックが延期となった為に余った花火が、日本の世界遺産の富士山の前で上がっています。夏の終わりを前に、大変元気づけられます。
 どうぞ、ご覧ください。とはいうものの、どうやらCGという噂だそうですが...

合掌

蓮徳寺
坊守 奥村千紗

 

世情に合わせて... R2 7.20

 今日は、久しぶりの晴天に恵まれました。
 今年は、年に一度の蓮徳寺のお楽しみ会「アラコッコー」を中止させていただきました。正式な行事でないため、丁寧なご報告を怠りましたこと、お詫び申しあげます。
 少なからず待ち望んでいてくださった方がおみえでしたら、私どもも同様、大変寂しい夏になりました。とはいえ、学生の方々も、夏休みを返上して学校の登校があり、お爺さま・お婆さま、ご両親を筆頭に、お子様方も、忙しく、暑さも厳しい、夏の到来となりました。観音さまでの、町内の盆踊りもご中止ということで、町また国全体で、過酷な一年がまだまだ続きそうですが、どうぞ皆さま、こんな時だからこそ、「いのち」を大切に、第一に、ご自愛賜りますよう、言葉だけですが、平穏な日々の暮らしを、応援させていただきます。

 今回ひとつだけ、お話ししたいたいのは、コロナ感染症の為に、命がけで働く医療現場の方々の努力と、それに感謝して花火を打ち上げる住民の方々の、心の通い合いに、ふと社会の美しさを見た気がしており、感動する一方で、どのような世の中でも、このような汚れのない、温かい心の交流社会であるといいなぁと、今の社会現状を、心に刻む自分でありました。

蓮徳寺
坊守 奥村千紗

親鸞その3 R2 6.15

親鸞の教えの中心は、やっぱり歎異抄第3章にある。
「善人なおもて往生をとぐ。言わんや悪人をや」
の言葉で示された「悪人正機」の教えではないでしょうか。

 宗教の本質は洋の東西を問わず「汝自身を知れ」に尽きると思う。ギリシャ神殿の扉にも、この文字が刻まれていると聞いています。

 真宗では、汝自身、即ち私自身に根深く働く、不純にして汚れた心(煩悩)に気付けと言う意味でしょう。煩悩とは、欲多く、腹立ち、そねみ、ねたみに満ちた心であって、それがいつも私自身からふき出して他人を傷つける。止めようにも止められない根の深い存在です。その煩悩に生きる「悪人」が実像であります。そのことは頭では理解していても、実生活には生かされません。なぜならば、自己の眼は外を向いていますので、他人の煩悩にはよくよく気付きますが、真に自己の煩悩に気付くことは不可能であります。(その眼を自己に向けなければ真に気付けません)しかし、その眼を内に向ける唯一の行動が仏縁に会うことでしょう。即ち亡き人を仏縁として、仏壇の前で合掌して「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えることです。なぁーんだ!と思うかも知れませんが、実践してみませんか。私は、悪人と頭では理解しているつもりでも、「お前程悪い奴はいないぞ」と人から言われますと、内心不快に思うのは、心の底では自分は善人だと思っているからでしょう。その度に念仏を唱えることによって“やっぱりなぁ”と善人ぶりたい自己に気付いていくのではないでしょうか。
 実に私達は、悪人にして悪人の自覚がないと気付けば、楽になり感謝の心も自然とわいてくると思います。

蓮徳寺
前住職 釋時中

 

親鸞その2 R2 5.15

 また、親鸞程、他人に対していばらなかった人はいないと思います。

 歎異抄の中でも「親鸞は弟子1人持たずそうろう」と述べて、自分は師ではあり得ないと否定されています。そして晩年には、自らを愚禿親鸞、(愚か者の禿げ)と名のって居られます。そこには、徹底した自己への覚醒があると思います。欲の深い、怒りと愚痴に満ちた自己の愚かさに気付かれた境地ではないでしょうか。

 私は自己を、上・中・下と三分類で評価すれば、何も悪いことをしていないと、迷惑をかけていないので、中の上ぐらいの人間と思っていますが、親鸞は自己を下の下の人間と言い切っておられます。すごい人ではありませんか。

 私も自己の煩悩(汚い心)に気付く眼を、温めていきたいものであります。

蓮徳寺
前住職 釋時中

 

親鸞その1 R2 4.15

 無人島に1冊もってゆくなら、「歎異抄」と書かれた出版物を見た。これは、作家の司馬遼太郎が残した言葉と云われている。

 「歎異抄」は、浄土真宗の開祖親鸞の語録で親鸞没後、信徒の間で種々の自分勝手な異説が起こったので、弟子の唯円が、親鸞の法話を、そのまま記して、異議を批判したものです。

 この親鸞の語録が、無人島で絶望した孤独地獄の苦しみに真に耐え得る唯一の言葉として評価されています。すごい人ではありませんか。簡単にその略歴を記します。

 1173年~1262年。日野有範の子。
 8才で父母と死別し、9才で剃髪して、比叡山延暦寺で天台宗を29才まで修める。その後、法然聖人の門に入り、1207年の法難で、師の法然と共に罪に問われ、越後(新潟)に流罪となります。後に許されてから、関東の常陸(茨城県)で20年余り生活され、晩年帰京して、京都で90才の生涯を閉じられました。

 特記すべきことは、鎌倉時代に90才まで御長命であられ、しかも80才を過ぎてから、仏教の教えを歌にし(和讃と云います)人々に布教されたことです。
 人生を完全燃焼で生きられた方と云えましょう。
 人生百年時代を迎える現代社会に、実に大きな教訓を与えておられます。充実した老後の人生を送られた手本として、その生き方を学びたいものであります。

蓮徳寺
前住職 釋時中