コロナ社会  R2 11.20

 コロナ禍がどんどん拡大し、色々な仏教行事が中止になっています。このような現状を、私たちは、どのように受け取るかが今問われています。
 コロナ禍を、とんだ災難だと、ただ不安がって、自分自身にふりかからぬよう、おびえて過ごすのではなくて、今こそ、改めて、日頃の無事平穏な日常生活を当たり前と思い、むしろ、次々と慾をふくらませて不平不満な思いで生きている事に、気付く最大のチャンス(仏縁)と受け取りたいものであります。
 自分の健康な身体も、慣例の仏教行事も、実は当り前のことではなくて、不思議な御縁で有り難いことが、有り得ているのであります。
 そのことに気付き、感謝の気持ち(念仏の心)を持って、全て「受けとる一手あるのみ」と謙虚に、御縁に頭を下げて、生きてゆきたいものであります。

「感謝は世を明るくし、不平は世を暗くする」
「自信の強い人に、感謝はない」

前住職
釋時中

 

お彼岸  R2 9.19

 浄土真宗(親鸞聖人の教え)では、聞法供養と云う言葉が使われています。仏法を聞くことが、唯一のご先祖への供養になると云うことでしょう。
「暑さ 寒さも彼岸まで」という、この季節こそ、もっとも聞法に適した季節と云えます。
 私たちの眼(まなこ)は外を向いていますので、他人の傲慢な根性には、よく気付き、腹を立てて生きていますが、その眼を自己自身に向けて、聞法することが条件であります。
 念仏は、自己に眼をむけるための唯一の手段であり、仏縁であります。まず合掌念仏して、自己に心を向けてから、静かに聞法したいものであります。念仏はご祈祷では、ありません。

○生きるにあらず、生かされているなり。
○死ぬるとき、この身体に感謝して返してゆきたい。
○今、生きていることが一大不思議である。

前住職
釋時中

 

お盆~歓喜会~  R2 8.20

 今年は大変な猛暑のなか、お盆も過ぎていきました。
 本年は、本堂内陣の天井(仏様の頭上 写真右上)が、漆塗り・金箔張り・金具の取付けにより、大変見事に立派に生まれ変わり、初盆会も無事、行うことができました。

 また、毎年、お墓参りで、お寄りいただく方々との会話のなかで、「これで、神や仏が何もしてくれない事がよくわかった、お寺も、これからの在り方を考えなきゃいかんぞ」の、お厳しいお言葉が、印象的でした。

 さてお盆とは...(以下、東本願寺出版、お盆、小冊子の文章をそのまま引用させていただきます。)”仏説盂蘭盆経”(ぶつせつうらぼんきょう)に拠ります。お釈迦様が、祇園精舎に居られた時のこと、お弟子さんの中で神通力(じんずうりき)第一といわれる目連尊者が、亡きお母さんを案じて、得意の神通力で探したところ、なんと餓鬼道で苦しんでいることがわかりました。お母さんを救う手立てをお釈迦様にお尋ねすると、徳を積んだ僧侶に布施することを教えられ、そのとおりにすると、お母さんは、救われたというのです。これがお盆という行事の由来とされています。踊り上がって喜ばれた目連尊者のお姿から、盆踊りは始まったとも言われています。
 また、お盆はいつから始まり、いつ終わるのか。京都の五山の送り火がありますから、終わるのは16日と思われますが、さて始まるのはいつでしょう。真っ先に思い浮かぶのが六道参りです。京都の人のなかには、7日になると、「六道さん」の名で親しまれる東山の珍皇寺へお参りに行かれます。ご先祖が、六道の中のいずれに沈んでおられてもお連れするためです。ですから、お盆は7日から始まるというのが京都の人々の感覚でしょう。
 では、浄土真宗の門徒は、どのようにお盆をうけとめればよいのでしょう。先ほど、六道に沈んでおられるご先祖、という表現がありました。
 六道とは、人間が陥る六つの迷いの世界をいいます。日々の私たちの生活は(人道)、苦しみのあまり、このまま死んでしまえばどれほど楽になれるかと思うこともあれば(地獄道)、あれも欲しいこれも欲しい、欲しいものが手に入っても満足できない、欲にはきりがありません(餓鬼道)。常に誰かに依存しながら、なんとなく生きており(畜生道)、一つ違えば、誰かれなしに喧嘩を吹っ掛けることは、日常茶飯事です(修羅道)。時には、自分は成功者だとほくそ笑み、自己満足に浸ることもあります(天道~浮世離れ~)。こうしてみれば、六道に沈んでいるのは間違いなく私たちです。このような私たちを、仏さまとなられたご先祖が極楽浄土へと導いてくださっている、そういうご先祖にお会いするのがお盆です。
 さて私も、中学時代に亡くした生みの母親に会いたく、お盆の最中、足取りが止まると直ぐに、実家のお墓参りに、子供と出かけました。実家のお寺の山門には、提灯が掛けられています。”お盆 歓喜会”~亡くなられた人(母)に会えて喜ぶ集い~大変嬉しいひとときです。

 文の書き出しに戻りますが、寺離れが激しい昨今、墓守も難しい世代の時代となりました。大変、残念なことですが、盆踊りと同様、ご先祖に会える歓喜会も、楽しみにして、また大切にして、時代を引き継いでいっていただきたいと思います。
 お寺もまた、皆さまの期待に添えられる生活のなかで、心地よい集いの場を築けていけたら良いのになあと、思いを馳せる坊守でございます。

 最後に、贈り物が届きました。コロナでオリンピックと共に、親鸞聖人七百五十回御遠忌法要・お稚児練り歩きが、延期となっておりますが、東京オリンピックが延期となった為に余った花火が、日本の世界遺産の富士山の前で上がっています。夏の終わりを前に、大変元気づけられます。
 どうぞ、ご覧ください。とはいうものの、どうやらCGという噂だそうですが...

合掌

蓮徳寺
坊守 奥村千紗

 

世情に合わせて... R2 7.20

 今日は、久しぶりの晴天に恵まれました。
 今年は、年に一度の蓮徳寺のお楽しみ会「アラコッコー」を中止させていただきました。正式な行事でないため、丁寧なご報告を怠りましたこと、お詫び申しあげます。
 少なからず待ち望んでいてくださった方がおみえでしたら、私どもも同様、大変寂しい夏になりました。とはいえ、学生の方々も、夏休みを返上して学校の登校があり、お爺さま・お婆さま、ご両親を筆頭に、お子様方も、忙しく、暑さも厳しい、夏の到来となりました。観音さまでの、町内の盆踊りもご中止ということで、町また国全体で、過酷な一年がまだまだ続きそうですが、どうぞ皆さま、こんな時だからこそ、「いのち」を大切に、第一に、ご自愛賜りますよう、言葉だけですが、平穏な日々の暮らしを、応援させていただきます。

 今回ひとつだけ、お話ししたいたいのは、コロナ感染症の為に、命がけで働く医療現場の方々の努力と、それに感謝して花火を打ち上げる住民の方々の、心の通い合いに、ふと社会の美しさを見た気がしており、感動する一方で、どのような世の中でも、このような汚れのない、温かい心の交流社会であるといいなぁと、今の社会現状を、心に刻む自分でありました。

蓮徳寺
坊守 奥村千紗