仏の子(大人も子供も・・)

今月は、法蔵館出版、「仏の子を育てる会」よりだされた、「子どもに聞かせたい法話」より、一話、載せさせていただきます。

<いただきます>

幼稚園で給食が始まろうとしています。
「さあ、みんなで、<いただきます>をいいましょう」と先生が言うと、
「先生、なんで<いただきます>っていうのですか」とけんた君が聞きました。
「それはね、給食のおばさんたちが一生懸命作ってくださったから、ありがとう、<いただきます>と言うのよ」
「でも先生、このあいだうちのママ、給食費六千円を持ってきたよ」とけんた君。
「えぇっ」
先生は答えられません。すると住職である園長先生が出てきて、
「けんた君、ママはお金を払っていないよ」と言います。
「ぼく嘘言わないよ。払ったってば」とけんた君は怒ります。
「それじゃ、けんた君、君の前にはおいしそうなお魚がお皿に載っているけど、ママはそのお魚にいくらお金を払ったのかな」
「えぇっ。ぼくそんなこと知らないよ。」
「そうだろう。知らないはずだよ。お魚は一円ももらっていないよね。それなのに、自分のいのちをさしだして、さあ、この身を食べて多きくなってちょうだいと言っているんだよ。その尊いいのちにありがとう、いただきますと言うんだよ。お肉もお米もおなじだよ。みんな生きているいのちを、私たちはいただくのだ。なぜ<いただきます>と言うかわかったかね」
「うん、わかった、尊いいのちに、<いただきます>って言うんだね。先生ありがとう」
そしてみんなは手を合わせ、大きな声で「いただきます!」と言って,給食を食べ始めました。

加えて書かれていたのが、特に、魚は一円ももらっていないが、お金は全部、人間が取っているのだと言われて、ぞっとしました。(藤枝宏嘉)

一言で、「いただきます」と言いますが、これは、とても奥深い言葉です。二年前、当寺のアラコッコーの紙芝居のテーマとなりました。また、毎年、報恩講で法話をしてくださる祖父江先生がよく使われる言葉でもあります。
何かをいただくということは、その何かの命を奪います。いただきますは、そのことを身に受け、自分が生きていることを確かめる言葉です。
「すべてのいのちあるものを大切にしなければいけない」これもまた、真宗の教えですが、その「こころを学ぶ」お言葉です。学校では宗教的言葉だと称して排除するところもありますが、悲しいことです。
育児のスタートに、「人間はこころを育てなきゃいけない」と先ず以て言われた、ある人の言葉が思いかえされます。

合掌

蓮徳寺 坊守